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  • 2016.03.31 Thursday

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今日1月11日は 「塩の日」 なのだそうです。

上杉謙信が、敵対する武田軍に塩を送ったのが
1569(永禄11)年、ちょうど444年前(!)のこの日にあたるとか。
「敵に塩を送る」 のことわざでも有名ですね。

お茶、とくに ほうじ茶 は、塩となかなかの相性をみせてくれます。

お茶うけに、おせんべいやおかきは抜群。
あと、昔からあるお茶のアレンジ法では、塩茶(しおちゃ)といって
ほんのひとつまみの塩をほうじ茶に入れて飲んだりします。

その塩茶のアイデア、こちらの本にも載っていました。

エプロンメモ
エプロンメモ
(暮しの手帖社)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 【塩番茶】
 コーヒー、紅茶もいいけれど、
 冬のお客さまに、一度塩番茶をさしあげてみて下さい。
 ほうじたお茶のかおりもこうばしく、
 ほんのちょっとの塩味が体をあたためてくれます。
 また、小さいあられを一つまみ入れ、上から熱い番茶を注ぐのも、
 目さきが変わっていいものです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ただ塩を入れるだけでも、いつものお茶と味わいが違って新鮮ですし
このアイデアにある 「小さいあられ」 の工夫は
ちょっとしたおもてなしにもいいですね。
あられの味や大きさをいろいろ試してみるのも楽しそうです。

塩茶はお酒のあとにもおすすめです。
ぜひ、ミネラル豊富で風味がある天然塩でつくってみてくださいね。

それからこの本でもうひとつ、素敵なアイデアが。

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 【おにぎり茶漬】
 冬むきのお茶漬をひとつ。
 中味はなんでも、
 まわりも塩でもよし、みそ、しょう油でもけっこうです。
 小さめのおにぎりを作り、こんがり焼いてからお茶わんにとり、
 熱いほうじ茶をかけます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

常備品でかんたんにできて、ちょっと見栄えのするお茶漬。

ほうじ茶は一般に、煎茶や抹茶よりカフェインがずいぶん少ないので
胃への負担も少なく、安眠の妨げになりにくいですから
夜食にも向きそうです。

いよいよ受験シーズン。
センター試験までは残り1週間ほどとなりました。
受験勉強中のご家族への夜食にもいかがでしょうか。

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辻留
茶の湯実践講座  辻留 茶懐石〈炉編〉
辻 義一
(淡交社)

淡交社の 「茶の湯実践講座」 シリーズに
茶懐石の老舗 辻留のご主人、辻義一氏による献立本が
〈炉〉 と 〈風炉(ふろ)〉 に分け2冊ラインナップされています。

もともと昭和62年と63年に出版され、版を重ねている本で
私も十数年前に買い求めて相当に年季が入ってきていますが
今でも折りにふれ見返し、勉強させていただく座右の書です。

開炉の季節を迎えようとしている今
久しぶりにまたページをひらいてみました。

〈炉編〉 は、11月ならば口切りの茶事
12月は師走の茶事、1月は初釜、というように
11月から4月までのそれぞれに茶事を想定し
その懐石の献立例が一式ずつ、作り方とともに紹介されます。

向付から汁、煮物、焼物などから香物にいたるまで
ひと通りの作り方(香物は切り方など)がていねいに紹介されるので
茶懐石にかぎらず、和食の調理本として見ても勉強になります。
うつわに盛られた料理写真がまた、瑞々しくて美しいのです。

うつわ自体も素晴らしく、垂涎のものが多く用いられています。
盛りつけの量や配置のバランス、また取り箸も湿してあるなど
写真から学びとれる実際的な心配りも多々あります。

また、この本で魅力的なのが
各月のはじめに見開きで入る 「食味歳時記」 という読みもの。
食材や料理の歳時記的な、エッセイ風の内容ですが
ふと身につまされる話題や、楽しい話題の宝庫なのです。

たとえば11月には
江戸時代の茶人、北村幽庵(ゆうあん)のことが。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 茶人北村幽庵は、毎朝お茶を召しあがるのに、
 そのとき使う水を琵琶湖のあるところに求められ、
 その水を下男がいつも朝まだ暗いうちに舟を出して、
 汲みに行っておりました。
 ある朝、下男が寝込んでしまい、いつもの場所まで行かずに、
 ちょっと舟を出しただけのところで水を汲みました。
 そして、その朝、幽庵がお茶を召しあがり、
 「今朝の水はちがうね」 とおっしゃったということです。
 味の上でも大変な通人であったようです。

 今、琵琶湖の水はよいとはいいがたいのですが、
 この話を琵琶湖でヨットを持っている友人に話したところ、
 彼は即座に 「その水は、あそこの水にちがいない」 といいました。
 琵琶湖に一箇所、下から湧き水のある場所があり、
 彼の説によると、比叡山からの水で、とってもよい水だそうです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この北村幽庵は、美食家としても有名だったようです。
名前でぴんときたかたもいらっしゃるでしょう。
幽庵焼を創案したのはこの人といわれていますね。

よい料理にも、そして
茶事のメインであるお茶の美味さにも大きくかかわる、水の質。
ただ実際、水のよしあしを見分けるのはなかなか難しいですね。

ちなみに、飲みくらべてもわかりにくい場合には
「 「白湯」 にして味わってみられるとよいでしょう」 との記述も。
名水といわれる湧き水や、井戸水などを汲む機会があったら
持ち帰って試してみてはいかがでしょうか。
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露地のきまり
露地のきまり ―植熊の茶庭づくりとその手入れ
植熊  小河 正行
(淡交社)

植物の生長というのは本当に旺盛。

そこにたたずむ草木の一本一本が
さりげなくて、なにも手をかけていない自然な趣にみえて
実は日ごろの剪定や掃除、あるいは雑草取りといった
こまやかな手入れがあってこそなのは
茶の湯のための庭、いわゆる 露地(ろじ) にかぎらず
洋の東西問わず植栽をほどこした庭の多くにいえることでしょう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 露地の目的は、簡単にいいますと、
 茶事をおこなうために作るといっても過言ではないと思います。
 大きい露地、小さい露地とさまざまですが、
 あまり大きさ、広さにこだわりはなく、
 要は使いやすさと亭主の心配りが大事なことだと思います。

 形式的なこともたしかに大事ですが、
 相手に対しての思いやりがなければ
 どんなにお金をかけた露地でも、
 お客様は満足されないことでしょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

亭主のもてなしへの熱い気持ちのようなものは
道具組みや清浄な茶室、懐石や茶にはもちろん
本編への序章ともいうべき露地の手入れにこそ
大きくあらわれるように思います。

造作については、専門的な知識を要するということもあって
庭師に頼む場合がほとんどでしょうし
その後の維持管理に関しても
年に1〜数回の植木の手入れや、消毒などについては
業者に依頼するケースが少なくないと思います。

そこにプラスして、日ごろから自分で少しずつ面倒をみると
美しい状態を常に維持することがかなうわけですが
春夏秋冬、時節にかなったすべきことをうっかり忘れたり
蒸し暑いし虫の出るこの時季など、どうもおっくうになったりして
茶事の間際にあたふたとなることもしばしばです。

この本を手にとったのは、著者の小河正行さんが
裏千家今日庵(こんにちあん)の出入方でもある
庭師 「植熊」 の五代目であり
いわば露地づくりのスペシャリストであることに加えて
12ヵ月の月別にすべき手入れについて記した
「露地の仕事」 の章が、実際的で役立つと感じたから。

たとえば12月、新春を迎えるにあたり
それまでの、落葉樹の葉を寄せ集めた 「吹き寄せ」 を取り除き
苔を寒さから守りながら美観を演出するための 「敷松葉」 。

松葉を敷いたきわの部分は、ピンセットできれいに整えることや
敷き終えたら、松ぼっくりを散らして景色づくりをするなど
こまやかな留意点についても、写真とともに言及されています。

茶庭をこれからつくってみたいかたや
折々の手入れの実際について知りたいかたにおすすめします。

また、露地というものの基本的な構成や造園の実例、さらには
歴代の親方が手がけた名庭の紹介などもあり。
茶室や茶庭がふだん身近にはなくとも
茶事のさいなどに庭を愛で、亭主の気持ちを掬いとるための
的確な視座も与えてくれる一冊と思います。
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私の小さなたからもの
私の小さなたからもの
石井 好子
(河出書房新社)

シャンソン歌手であり、また
エッセイストとしても活躍された石井好子さん。

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』 や
『東京の空の下オムレツのにおいは流れる』 といった
珠玉のエッセイ集がありますが
こちらの本は、彼女の没後に出されたもの。

雑誌などに寄稿された多くの短文のなかから
生活のなかで大切にしているものごとをつづった内容のものが
とくに集められ、昨年出版されました。

身辺において愛用したものや、舌鼓をうったものはもちろん。
物質的なものに限らず、生きることへの心持ちといいますか
歳を重ねてなお暮らしぶりや心緒が美しいと感じる人々への
賛歌的な内容も多くみられて、温かな気持ちになれる一冊です。

さて、「コーヒーよりも紅茶が好き」
「日本にいるとあまりコーヒーを飲まない」 という石井さん。

そんな紅茶へのこだわりがうかがえるのが
「て・のあーる」 という短い一篇。

英国風の紅茶を楽しむ、基本中の基本といった内容で
紅茶の淹れかたはもちろん
今の時節に真似したい、アイスティーの基本のつくりかたや
また、お菓子とのマリアージュ等についても多少ふれています。
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 最近つづけて英国の作家サマーセット・モームの小説をよんだが、
 モームの小説の中で印象的なのは、
 いかにも英国人らしく紅茶を飲むシーンだ。
 しょうが入りのビスケットや、
 狐色にこんがり焼いたバタつきのトーストに
 湯気の立つ紅茶のとりあわせは、
 おいしそうだなということよりも、
 ゆったりした午後のお茶の時刻を身近に感じさせる描写だった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 
モームの小説に描かれるティータイムの様子を伝えながら
そこにただよう、ゆるりとした時間や、いい香りの湯気や
ビスケットやトーストをかじる軽やかな音まで運んでくるようで。

お茶するということの醍醐味を思います。

「喰いしん坊」 を自認する石井さんの文章は
自分も同じように、ゆるやかに香ばしい時間と空間を過ごしたいと
つい感化されてしまう大らかな魅力があります。

ちなみに、食についてのエッセイをとくに集めた姉妹書も出ていますよ。

バタをひとさじ、玉子を3コ
バタをひとさじ、玉子を3コ
石井 好子
(河出書房新社)

『私の小さなたからもの』 とおそろいの装丁も素敵なのです。
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伊都子の食卓
伊都子の食卓
岡部 伊都子
(藤原書店)

岡部伊都子さんが1950年代から80年代に書かれた
食にまつわる随筆があつめられた一冊。

「美しいお茶」 という、珠玉の一篇がおさめられています。

茶畑の美しさ、茶の若芽の清らかさ。
上等の玉露や煎茶のかもす、香気や余韻の妙。
番茶やほうじ茶に感じる、気のおけなさ。
一見地味な茶の白花によせる、あたたかな感懐…。

お茶というものの存在の美を、ここまで掬いあげた短文を
ほかに知りません。

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 ときどき、棄てるのがもったいないほどきれいな緑色の葉が、
 急須の中で開いていると、
 ふと、枝についていた萌えだちの葉を思いだす。
 この世の風に手をさしのべて、
 ようやく伸びてきたばっかりの若葉であった。
 あの幼い葉の全身のエキスを、いま吸わせてもらったのだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

走りのお茶、しかも昔ながらに加工時の蒸し時間が短めな。

丹念に茶葉を揉み、針のようにぴんと細く仕上げられたものが
急須のなかでお湯をふくんで、もとの葉のかたちを取り戻す
奇跡のようなひととき。

茶葉がほろほろに細かい、深蒸し系のお茶が人気の昨今です。
深蒸しは短い時間でさっと色濃く出て、簡便ではあるものの
私は個人的には、昔ながらの普通蒸しのほうが
その美感も風味の奥行きも好みなものですから
こんな一節に出会えると、しみじみうれしく思います。

食、ということに関して
土の精気から乖離した、上面に感じる雑文が幅をきかせ
そのスノビズムに辟易もするこのごろ。

この本に一貫してつづられている
「無演出、無装飾の気品と、素材だけで構成される味」 は
また生前の岡部さんの凛としたお姿とも重なり
あらためて、食は人なり、と感じさせられます。
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芸術新潮
芸術新潮
2012年 7月号
(新潮社)

さきごろ発売となった 『芸術新潮』 最新号に

「初公開! 利休最後の直筆茶会記」

という驚きの記事が。
 

「茶会記」 というのは
日時や場所、道具組みや懐石の献立などといった
茶事の内容を書き留めた記録のこと。
茶をする者にとって、自分のための大切な覚書です。

紀州徳川家に伝わり、その存在が知られてはいたものの
昭和のはじめに売り立てに出されてから
長らくその行方がわからなかった、という
利休自筆の、幻の会記が写真とともに紹介されています。

記事によれば、これは
1591(天正19)年閏正月11日から24日にかけての
6回分の茶会が手控え的に簡潔に記録されたもの、とのこと。
利休が亡くなったのは、同じ年の2月28日のことですから
まさに最晩年の会記となります。

利休が好んだといわれる 「くろちゃわん」 、つまり
長次郎の黒の樂茶碗がよく登場している一方で
茶事によっては 「信楽の水指や瀬戸物など、
当時流行のもの」 も用いていた、といった
かなり気になる話題も。

写真をふくめ、4ページにまとめられた小さな記事ですが
この会記を手に入れた木村宗慎さんと
利休とゆかりのある樂家当代の樂吉左衛門さんの対話から
孤高の茶人として神聖化して語られがちな利休の
生身の姿が立ち上がってくるようなゾクゾク感があって。
非常に刺激的な内容となっています。
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天馬の脚
天馬の脚
室生 犀星
(ウェッジ文庫)

ロマンティックな表題が目を惹く、室生犀星のこの一冊。
『庭をつくる人』 と同じく、ウェッジ文庫からの復刊です。

日々の雑感を記した随筆を中心に
文芸や映画、人物の評や、さらには発句など
バラエティに富む内容となっています。

このなかに、「茶摘」 という
文庫にしてほんの1ページほどの随筆が収められています。

犀星が育った家の庭には、茶畑があったそうで
季節になると茶摘みの手伝いをした思い出が記されています。

手での摘みとりは、地道でとめどない単純作業であり
「茶といふものに恐怖を感じる程、摘むことに飽飽」
した、なんていう正直な一文もあるのですけれど…。

一方で、犀星の描く、生活のなかの製茶風景は瑞々しい。
新茶のかもす、視覚的・嗅覚的なかぐわしさが
実に端的に掬いあげられて。

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 蒸された茶は餅のやうな柔らかい凝固になり、
 揉まれると鮮かな青い色を沁み出してゐた。
 その莚(むしろ)を乾かしたあと、
 四五日といふものは矢張り茶の芽の匂ひがし、
 その匂ひは庭へ出ると直ぐに感じられた。
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このシンプルにして美しい描写のすぐあとに、一転して

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 二番茶を摘むころは日の当りが暑かった。
 じりじりと汗を搔く母を見ることは、気苦労できらひだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

と続いているのですが
少年の繊細な心模様が、お茶の新芽の柔和さとあいまって
不思議と文章全体から受ける瑞々しさは増すのです。
  
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東京人
東京人
2012年 7月号
(都市出版)

雑誌 『東京人』 の最新号にて

「道楽がつなぐ権力の環 茶の湯を愛した富豪たち」

と題した特集が組まれています。

たとえば、明治維新以後
東京圏でおもに活躍した財界人・政界人の茶人たちと
そのネットワークについて。

新興のブルジョワ勢力でもあった彼らが
開国後の西洋化したこの国で、あえて茶の湯に興じ
高価な美術品を蒐集した理由の、その本音のところ。

東京圏の数寄者と、関西の数寄者の違いについて。

… 等々、おもに
いわゆる近代数寄者にフォーカスした特集内容ですが
茶の湯雑誌、美術雑誌とはひと味違う切り口なのです。

私がとくに面白く拝読したのは
古くは武家社会にまでさかのぼり
茶の湯の政治的な意義とその変容についてまとめた
御厨貴氏と佐藤信氏の寄稿。

桃山期の草庵の茶にみられる、少数の閉鎖的な茶事は
歴史を動かしたひとコマとして語られることも多々ですが
たとえば、北野大茶湯に代表される大寄せの茶会について

「権力者と民衆の距離を縮め、直接に結びつけることで
 民衆の支持を獲得するという政治的技術」

と、その意図を指摘しているところなど実に興味深く
手に取りやすい月刊誌で、このような論考にふれられるのは
非常に贅沢なことと思います。

茶の湯の名品や、昨今の茶道(お稽古)事情の一端の紹介
また、初心者の心得にも簡単に触れているものの
そこは他の多くの雑誌とさほど変わり映えしない内容で
ちょっと蛇足なようにも感じました。

近代史が好きなかたにもおすすめの一冊です。
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眠る盃
眠る盃
向田 邦子
(講談社文庫)

紺屋の白袴、といいますか。
製茶業をさせていただいている身としては
新茶の季節がはじまってからの当分は
仕事以外で、心を落ちつけてゆったりと
新茶をいただくという気分にはなかなかなれぬもので。

このごろになってようやく
茶菓子とともに堪能する余裕ができてまいりました。

新茶に合わせたい菓子として
この数年来、まっさきに思い浮かぶのが、水羊羹。
以前のブログ でも触れたことがありますが
この随筆集に所収の、「水羊羹」 という一篇の影響です。

「水羊羹の命は切口と角であります」

「水羊羹は江戸っ子のお金と同じです。
 宵越しをさせてはいけません」

「水羊羹は、ふたつ食べるものではありません」

…等々、水羊羹そのものの形状や感触や色沢の美から
いただきかた、さらにはなんと
ライティングやムード・ミュージックにいたるまで。

「水羊羹についてウンチクの一端を述べ」 たという短文からは
彼女の、暮らしをとりまくものごとへの美意識や
食ということへの清新な感受性が
あますところなく感じられます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 心を静めて、香りの高い新茶を丁寧にいれます。
 私は水羊羹の季節になると
 白磁のそばちょくに、京根来(ねごろ)の茶卓を出します。
 水羊羹は、素朴な薩摩硝子の皿か
 小山岑一(しんいち)さん作の
 少しピンクを帯びた肌色に縁だけ甘い水色の
 和蘭陀(オランダ)手の取皿を使っています。

 (中略)

 水羊羹が一年中あればいいという人もいますが、
 私はそうは思いません。
 水羊羹は冷し中華やアイスクリームとは違います。
 新茶の出る頃から店にならび、
 うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、
 その短い命がいいのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

さて、今年はどちらのお店の水羊羹を
新茶のおともといたしましょうか。

ちなみに、向田さんご自身はというと
青山の菊家さんのものがお気に入りだったそうですよ。

がんばって手づくりしてみるなら
こちらのサイトが大いに参考になりそうです。

→ 「NHK 「グレーテルのかまど」 作家・向田邦子の水ようかん」
   (NHKオンライン
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歳月
歳月
茨木 のり子
(花神社)

死別した最愛の夫への思いを綴り
彼の頭文字である 「Y」 と書いた箱に仕舞っておいた詩たち。

「ちょっと照れくさい」 からと
茨木さんは生前にはこれら挽歌を公表しなかったそうです。
遺稿集として編まれ、彼女の一周忌に出版されました。

衝撃を受けた一節があります。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 おたがいに
 なれるのは厭だな
 親しさは
 どんなに深くなってもいいけれど

            (「なれる」 より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「親しさ」 は深くなっても、「なれる」 のは厭。
凄みを感じます。

これは茨木さん自身のではなく
結婚当初に夫が言ったことばとして描かれています。

「なれる」 とは、もしかしたら
物質的な距離は近くあっても
実はむしろ対象の本質から遠ざかっている状態かもしれず。
近すぎると見えないことが多い、なんていいますけれども
それは 「なれる」 緊張のなさから生じるのかもしれません。

夫婦に限ったことではなくて
親しい人たちにも、身のまわりのものごとにも
それから仕事にしても、決して 「なれる」 ことなく
いつでも清新な目と手と心でいること。

意識しても、なかなか簡単にできることではないですね。
茶の湯でいう 「一期一会」 ということばがよぎります。

その意味で、この詩の書き出しにもどきりとしました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 あら 雨
 あじさいがきれい
 このブラウス似合います?
 お茶が濃すぎるぞ
 キャッ! ごきぶり
 あの返事は書いておいてくれたか
 レコードもう少し低くして 隣の赤ちゃん目をさますわ
 
 

 とりとめもない会話
 気にもとめなかった なにげなさ
 それらが日々の暮しのなかで
 どれほどの輝きと安らぎを帯びていたか

            (「誤算」 より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

お天気、音、色彩、そしてお茶を淹れることも…。
どれもふだんの生活のなかでは、ほんの些事ですけれども。

日常は永劫に続かないからこそ
そうしたものが傍らにあってくれることの温かさを
一瞬、きら星を見るごとく意識のうえにのせるだけで
私たちの今の生活も、ほんの少しであれ
なにかが変わりはじめるかもしれません。

また、私どもの製するお茶も、どこかで
なにげなく、どこにでもいるような顔をして
人と人との 「親しさ」 を深めるものであったらうれしいと
そんな思いにもさせられる一編です。
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