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  • 2016.03.31 Thursday

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種まく旅人 〜みのりの茶〜
種まく旅人 〜みのりの茶〜
監督 : 塩屋 俊 (2012 / 日本)

舞台は大分県の臼杵。

有機栽培茶農家の祖父が、心臓発作により入院。
ちょうどアパレルデザイナーの仕事をリストラされたばかりで
その場に居合わせた、田中麗奈さん演じる孫娘のみのりが
まったく経験のなかった農作業を代わりにすることになります。

お茶は工業製品ではなく、自然から日々いただく恵み。

晴れの日も大切だし、雨の日も大切。

シンプルな道理ながら忘れがちな
そんな包容力のあるメッセージに満ちた物語です。

陣内孝則さん演じる、神出鬼没の “金ちゃん” が
主人公でありながら物語の狂言回しの役目もしていて
(タイトルの 「種まく旅人」 とは、実は彼のことでしょうか)
楽しんで観られる、ほんわかとした印象のサクセスストーリー。

約2時間という尺ですから、お茶づくりのようすについては
そのこもごもの一面しか描けないという制約があるのでしょう。
茶にたずさわる者としては、どうもつい専門的にみてしまい
気になる点がなきにしもあらずでしたが
ただ劇中では、茶園の日々の管理にくわえ
荒茶に加工する作業なども話に織り込まれていて
製茶風景をみたことのないかたには新鮮かと思います。

くわえて、単に主人公らが農業に取り組む様子のみならず
過疎化や高齢化の進む土地の人間関係、慣習についてや
小さな地方自治体の農政についての問題点のエッセンスが
現実的に織り込まれているところにも魅力を感じました。

あと、みのりのメイクが話を追うごとに徐々に薄くなっていって
終盤、茶園の光のなかで素肌の質感が柔和に伝わるカットがあり
これが実に美しかったのです。
その清気に、やられたと思いました。

というのも、終盤までほぼすべての農作業シーンで
みのりは日よけの帽子をかぶらないんですね。
茶園の日ざしの強さを思うと、これはさすがに考えにくいことで
ずっと違和感をぬぐえないままに観賞していたものですから。
顔の表情をしっかりみせるため、という側面のみならず
そんな微妙な変化をも伝える狙いがあったのかもしれませんね。

観終えたらきっと、あたたかなお茶をゆっくりと淹れて飲みたくなります。

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明りを灯す人
明りを灯す人
監督 : アクタン・アリム・クバト
(2010 / キルギス・フランス・ドイツ・イタリア・オランダ)

貧しい家庭でも電気が無料で使えるように
不法とわかっていながら、メーターを細工してしまったり。
いつかは、手づくりの風車をたくさん設置して
村じゅうの電気をまかなうことを夢見ていたり…。

そんな、素朴で人のいい電気工 「明り屋さん」 が主人公の
キルギスの小村を舞台とした佳品です。

キルギスではかつて、多くの人が遊牧生活をしていたようですが
(その名残と思わせる習俗もふんだんに出てきます)
この映画で描かれる人々は、村に定住しています。

山あいの牧歌的な情景も美しく、心なごむ序盤。
そんな村にも、政変の影響や資本流入のうねりがやってきて
さまざまな、いたみをともなう出来事がおこります。

山の向こうにある世界にあこがれを抱き
高い木に登ってみたはいいけれど、おりられなくなる少年。
自らの肉体で収入を得、一家を支える、美しく聡明な娘。
「キルギス人の半分は貧困にあえいでいる」
というせりふも出てきて、身につまされました。

保守と進歩、純粋と不純、善と悪、といった
単純な二項対立のきれいごとでは括れない
実に考えさせられる作品です。

さて、キルギスの人はお茶を日ごろからよく飲むようで
映画には喫茶風景がちりばめられています。
緑茶ではなく、紅茶文化の国ですね。

興味深かったのが、お茶を注ぐさいに
ポットとは別に、大きめのやかんが用意されていること。

家庭での(よそゆきではない)お茶の時間には
カフェオレボウルのような形状の、持ち手のないカップに
濃いめに抽出してあるらしき紅茶を少し入れてから
やかんのお湯を注ぎ足して割っているのです。

さいしょ、やかんの中身はミルクかな、と思ったのですが
注ぐシーンを巻き戻して見てみましたら、やはり透明で。

日に何度もティータイムを持つこの国の人たちはもしかしたら
濃い紅茶をまとめてつくり置きしておいて
それを適宜、薄めて飲むことで
そのつど逐一抽出する手間をはぶいているのかもしれませんね。
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晩春
晩春
監督 : 小津 安二郎 (1949 / 日本)

“お茶まわり” といえば、この映画のファーストシーン。

紀子(原節子)と、叔母のまさ(杉村春子)が
鎌倉の円覚寺で催される、晩春の茶事に参会するシーンから
この物語は始まるんですね。

塔頭の茶室や露地がもつ、独特ののどけさ。
そして、点前の様子は、手もとのクローズアップもふくめ
的確かつていねいに描写されています。
それを見つめる参会客たちの、凛とした雰囲気も感じられ
茶事の緊張味ある空気感まで切りとったような印象を受けます。

鎌倉は主人公が暮らす町として描かれますが
この作品ではほかにも、旅行で訪れる京都などでも
伝統的な、日本の情趣を
かなり意識的に画面に登場させているように感じます。

龍安寺の石庭や清水の舞台といった
建築・造園の造形美そのものに加え
能楽堂で上演される 「杜若(かきつばた)」 の幽玄さや
花嫁衣裳や旅館の浴衣など、和服の艶やかさも目を惹きます。

いまだ戦争の傷痕なまなましい
占領下、1949(昭和24)年の公開ということですけれども
描かれる風景は、不思議なくらいに
この国に何ごともなかったかのように美しい。
紀子が闊歩する銀座の街のモダンさにも驚かされます。

小津安二郎監督の代表作のひとつであり
また、小津作品の常連俳優、笠智衆と原節子が
親子の役で共演した最初作としても知られます。

いまの時節におすすめしたい一作です。
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昨日、静岡市のミニシアターにて
『幕末太陽傳 デジタル修復版』 を観てきました。

→ 『幕末太陽傳 デジタル修復版』 公式サイト
   (日活)

幕末、品川宿のとある遊郭を舞台とした作品です。
いくつもの古典落語を材として
2時間弱の作品の中にすっきりとまとめながら
プロットに散漫さや冗長さを感じさせず
最後まで物語の躍動感が持続する、奇跡的な一作。

1957年のモノクロ映画なのですが
このたびのデジタル修復によって
画像の質感のしっとりとしたなめらかさに加えて
遊廓のセット空間の奥行き感もぐんと増したと感じました。

内容については上記の公式サイトや
ウィキペディアの解説ページ 等にくわしいので
興味のあるかたはぜひそちらを読んでみてください。

今回、そういえば、と思ったのが
作品中に遊女たちの お茶をひく シーンが何度か登場すること。

とはいえ、もちろん実際に遊女たちが
茶葉を臼で挽き茶にしているわけではありません。

お茶をひく、という言い回しがうまれた場所は、まさに遊郭。
客ひきができないならお茶をひけ、ということなのでしょう。
それくらい暇な様子をあらわす表現なんですね。

あまり器量がよくなかったり、あるいは
『幕末太陽傳』 のなかでは乳飲み子を抱えていたりで
客がつかず、手持ち無沙汰にしている遊女がいるわけです。
またお茶をひいているのか、なんてひやかされたりして。

脇役ながら、彼女たちのやりとりや
ちょっとした言い回しやしぐさもたくましく、ユニークで
何度目かでも、そういうディテールまで楽しめるところが
この作品のあせない魅力を支えているようです。

幕末太陽傳
幕末太陽傳
監督 : 川島雄三 (1957 / 日本)

先々、デジタル修復版もDVD化されるといいですね。
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らくだの涙
らくだの涙』 
監督: ビヤンバスレン・ダバー  ルイジ・ファロルニ
(2003 / ドイツ)

ドイツの大学で映像を学ぶ
モンゴル人とイタリア人、ふたりの監督(の卵)が
卒業制作としてモンゴルで撮影したというドキュメンタリーです。

ゴビ砂漠で多くの家畜と遊牧生活をする、とある四世代家族。

彼らがともに暮らすらくだのうちの一頭が
難産の末にようやく、かわいらしい白い子らくだを産むのですが
その後、母らくだは育児放棄といいますか
お乳を与えるのを嫌がり続けるんですね。

なぜでしょう、難産による苦痛の記憶が影響するのでしょうか?

母らくだの心をいやすべくおこなわれるのが
馬頭琴の演奏と歌声を聞かせる、モンゴルの伝統的な儀式。
歌詞もメロディも、非常にシンプルながら
これが風景と呼応するようで実に美しいのです。

母らくだは子らくだにお乳を与えられるようになるでしょうか …

さて、日本人同様、喫茶習慣のあるモンゴルの人々。

(モンゴルのお茶の特徴は
 『白い馬の季節』 という映画の記事 で簡単に触れましたので
 興味のあるかたはぜひそちらで …)

やはり、といいますか、この作品のなかでも
仕事が一段落しては飲み、遠出した家族の帰りを迎えては飲み
はたまた来客をもてなすのに飲み、と
一家でお茶をするシーンが折々に登場しました。

さらに、今回、喫茶の様子以上に興味深かったのが
おばあちゃんがゲル(移動式テント)のドアの外に出て
器のなかの白い飲みものを
(これはミルクティーか、あるいは単に家畜の乳かもしれません)
スプーンですくって地面に振りまくようなシーン。

ナレーション等で具体的な説明は付されないものの
大地にささげたものを、直会(なおらい)として
その後に自分たちもいただく、という類のものでしょう。
恵みに感謝する日々の儀式かと思われますが、印象的でした。
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夏時間の庭
監督:オリヴィエ・アサイヤス (2008 / フランス)

本作は 「オルセー美術館開館20周年記念作品」 で
作品中に登場する美術品のほとんどが
美術館に所蔵されている本物なのだそうです。

四季折々の花が彩る、広大な庭に抱かれた一軒家で
母の誕生日を祝うため久しぶりに集った
それぞれ独立し離れて暮らす3兄妹。

テラスでのお茶のひととき、その手には
1900年代初頭につくられたものであろう
ジョージ・ジェンセンの、優美な銀のティーセット。

屋内に目をやれば、コローやルドンの絵画が壁を飾り
書類が積まれたアール・ヌーヴォーの書斎机はマジョレル。
使用人のエロイーズが、庭の花を無造作に飾る花器は
実は銅版画家のフェリックス・ブラックモンの作だったり。

名のある画家であった大叔父の
美術品のコレクションとして登場するこれらは
本作の陰の主役といえるでしょう。

掌に包まれ、あるいは生活の息吹のかたわらで
登場人物たちと同じように息をしているかのごとくみえる
それらの品。

だから1年後の母亡きあと、その遺志どおりに
美術館に寄贈された品々が展示室でみせる
眠りについたかのような無機的な静けさが
たまらなく胸に沁みるのです。

ところが観終えてみて。
それでも、不思議と温かい気持ちになったのはなぜでしょう。

表向きには、3兄妹の財産分与の話で
喪失感や切なさを内包するテーマでありながらも …

幸せなひとときの記憶。
互いによりかからず自立し、変化に後ずさりすることのない
登場人物たちのたたずまい。
ラストシーン、少女が垣間見せる未来へのきざし。

こうして思いかえすほどに、また余韻は深まるのです。
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マルタのやさしい刺繍 [DVD] 
マルタのやさしい刺繍
監督:ベティナ・オベルリ (2006 / スイス)

テーブルを囲む 「遅咲きの乙女たち」 が
ティータイムににぎやかにほおばるのは
さっくりと焼かれた、スイス風、ときにはアメリカ風のアップルパイ。
そのおいしそうなこと!

スイス・エメンタール地方の保守的な小村を舞台にした
80歳のマルタおばあちゃんが主役の物語です。

スイスなのに、アップルパイがアメリカ風?
その理由は作品をみれば明らかになります。

最愛の夫が先立って数ヵ月。
いまだ外出もおっくうで、意気消沈の生活を過ごしていたマルタの
最初の台詞(せりふ)はたしか、独りの部屋での独り言。

「もう、たくさん」

だったでしょうか。

将来どころか現在を考える余裕すらなかった彼女が
友人たちの後押しもあって、なんと一念発起。
若きころの夢だったランジェリーショップを開くことに。

保守的な村で、しかも息子は牧師です。
完全なアウエー状態です。
それでも、クローゼットの中にしまいこんでいた夢を叶えるべく
まさに孤軍奮闘する彼女たちの姿が
軽やかなユーモアを交えつつ描かれます。

ランジェリーが、スクリーンを通しても素敵なのです。
いかにも質のよさそうなレースを上品にあしらい
さらに、伝統の花柄を自らで刺繍した、ハンドメイド。
手ざわりのなめらかさが伝わってくるかのようでした。

小物やセットのディテールもまた、乙女心をくすぐります。
そして、「遅い」 とあきらめないたくましさに、心が軽くなります。
女性なら年齢を問わずに楽しめる作品ではないでしょうか。
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たみおのしあわせ
たみおのしあわせ
監督:岩松 了 (2007 / 日本)

この作品が撮影されたのは静岡県。
行き慣れた百貨店や、近所の田舎道がスクリーンに映ると 
すこし妙な気分がするものですね。

さて、主人公父子が暮らす家としてロケに使用されたのは 
袋井市にある 「澤野医院記念館」 という元病院。

市のホームページ によれば 
「昭和初期の私設病院の雰囲気」 をとどめたこの建物は 
現在は交流施設や展示室として一般公開されています。
ちなみに今、映画を記念した写真展も開かれているそうですよ。
ファンのかたはぜひ。

そして、原田芳雄さん演じる父親が勤務する会社は 
静岡県らしく、どうやら製茶問屋のようでした。
「茶」 と印刷された段ボール箱を台車に積んだり 
ガラス戸の向こうの部屋で製茶機械が動いていたり。

この父親は、管理職でデスクワークが中心のようで 
茶葉を触るシーンは、残念ながら登場しませんでしたが。 
(おそらく繁忙期ではない)茶商の日常は 
客観的にみると、こんな様子なのかもしれません。

彼らの家への帰路は、茶園に囲まれて。
低い背丈で整然とした、緑深い茶園の印象は 
衝撃的(?)なラストに現れる草叢との対比が鮮明で 
映像の被写体としても、なかなかの面白さを感じました。
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ムッソリーニとお茶を (ユニバーサル・セレクション2008年第7弾) 【初回生産限定】
ムッソリーニとお茶を
監督:フランコ・ゼフィレッリ (1998 / イタリア)

舞台は、1935年から第二次大戦下にかけてのイタリア。
激しく露骨に戦闘のシーンを描くことなく戦争の意味を問いかけ
しかも、温かな気持ちになれる作品です。

迫りくる大戦で敵国民とみなされることとなる英米の女性たちと
在伊英国人の私生児である孤独な少年・ルカ。
そのふれあいが、イタリアのファシズムを背景に描かれます。

あるきっかけで、ルカの面倒をみることになったのは 
メアリーと、その友人ら英国貴婦人グループ。
ルネサンス芸術や、シェイクスピア文学を通じて 
彼女らから“愛”の素晴らしさを教えられたルカですが 
時流を察知した実の父親により、オーストリアに留学することに。

5年後、イタリアに帰国したルカが目の当たりにしたのは 
メアリーたちや、ひそかに慕うアメリカ人女性・エルサへの 
外国人排斥の波と、日ごとに激化する戦況でした。

しかし、そんな状況下でも女性たちのエネルギーは素晴らしい。
英国貴婦人、と書けば、なんとも美しい響きですが 
要するに、初老の“おばあちゃま”がた。

クセ者ぞろいで、“サソリ”と揶揄されたりする彼女たちですが 
目の前に、大戦という非情な運命が立ちはだかっていようが 
日々アフタヌーン・ティーを愛し、芸術を愛で 
自分の欲する生き方を貫かんとする姿勢の、希望に満ちたこと。

こういう作品が、廃盤になることなく 
いつでも手軽にレンタルできる世の中であってほしいものです。

ところで、タイトルの 『ムッソリーニとお茶を』 ですが。

英国貴婦人のひとり、大使未亡人のレディ・レスターが
外国人排斥に抗議すべく、ムッソリーニに会いにいった際 
英国式のお茶でもてなされるシーンがあります。
そこからとったものでしょう。

英国式のもてなしを受けた、ということが、彼女にとっては 
ムッソリーニから庇護を約束されたことと同義なんですね。
この信用は、のちに裏切られることとなるわけですが 
英国人にとってのお茶の意味を知るうえでも、興味深いシーンです。
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緑茶
緑茶
監督: チャン・ユアン (2002 / 中国)

カフェやバーで必ず緑茶を飲む、ふたりの女性。

ひとりは、知的な大学院生、ウー・ファン。
メンズライクな、モノトーンのパンツスーツやシャツを身につけ 
めがねをかけた内気な女性は、幾度も見合いを繰り返します。

もうひとりは、バーで働くピアニスト。
しかし、その実は高級娼婦という、美しく奔放なランラン。

まったく違う個性のふたり。
でも、このふたりの面立ちや声は、瓜二つなのです。

別人なのか?
それとも二重人格のひとりの女性なのか?
そんな興味を観る者に抱かせつつ、物語はゆったりと展開します。
(それぞれを演じるヴィッキー・チャオの艶っぽさときたら!)

この映画で、重要な小道具になっているのが 
タイトルにもなっている「緑茶」です。
中国緑茶ですから、日本茶と茶葉の形状は少し異なっていて 
水色は若干淡めですね。

映画の中では、彼女らが緑茶をオーダーすると 
急須ではなく、茶葉とお湯をいれた耐熱グラスが出てきます。

クリストファー・ドイルが撮ると、そのグラスの中の情景も官能的。
茶葉がゆらゆらと揺らめくさまは、ときに神秘的で
あの透明感は、紅茶やコーヒーには代え難いのでしょうね。

緑茶って、意外と艶っぽい。
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