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  • 2016.03.31 Thursday

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お茶のことのは ●  葉茶(はちゃ)

  《 「はぢゃ」 とも》
  茶の若芽を蒸し、よりをかけ、干して製した茶。
  煎茶など。
  抹茶に対していう。

            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ― 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

茶臼で挽いて細かな粉末状にする 「抹茶(挽茶)」 にたいして
もとの葉の形状を比較的とどめているタイプのものを
「葉茶」 と呼びわけることがあります。

現代ではあまり使われなくなりましたが
「葉茶店(はぢゃみせ)」 とか 「葉茶屋(はぢゃや)」 というと
この 「葉茶」 そのものを商うお店のことをさしたようですね。

あえてそのようによんだのは
今でいう喫茶店やカフェと同義の 「茶店(ちゃみせ)」 との
区別を要したということもあったのかもしれません。
「茶店」 はまた、飲みもの(茶の抽出液のほう)を提供するということで
「水茶屋(みずぢゃや)」 といったりもしたようです。

ちなみに、「葉茶」 と非常に似ていることばに
昨今普及した 「茶葉(ちゃば)」 があります。
単純に、(植物としての)茶樹の葉っぱというだけでなく
仕上げ加工までされた製品、つまりこの 「葉茶」 に近いニュアンスで
用いられることのほうが多いように感じます。
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お茶のことのは ●  一服茶(いっぷくちゃ)

  一杯だけの茶。
  茶は一杯だけ飲むものではないとして忌む。
  一杯茶。
            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ― 

  一杯だけの茶。
  死者に供されるので、忌む。
  一杯茶。
            ― 大辞林 第二版(三省堂)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

ちょっと気になることばがありました。

お茶を 「一服」 といえば
食後の一服、仕事の合間の一服 … というふうに
一回あるいは一杯飲むことをいったり
転じて、すこし休憩をとることをもあらわします。

大切にしたい、やわらかくて佳い響きのことば。
「茶一服」 も、そうした意味合いで用いますね。

これがまったくの意外でしたが
順序を逆にして 「一服茶」 というと
上に挙げた、ふたつの辞書の語義にも明らかなように
異なるニュアンスとなってしまうそうです。
うっかり誤用しないように気をつけなければ … 。

『広辞苑』 に書かれている
「茶は一杯だけ飲むものではない」 とするのは
たとえば、煎じ茶の場合ですと
二煎目以降も充分に味わいが楽しめるということもあるでしょうか。

くわえて、ひと息ついたり、会話を楽しんだりもする
お茶を喫するゆったりとした時間を振り返るほどに
(これには個人差があると思いますが)
たしかに汲出碗に一杯きりではせわしないなあ、とも感じます。

また、『大辞林』 にあるように
「死者に供される」 お茶、茶湯(ちゃとう)は一杯のみですので
これもなるほど、と。

日常のなかでの、お茶で一服、というひとときが
いかに生気のかよったあたたかなものであるか
こうしたことばを知ることで再認識させられますね。

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お茶のことのは ●  茶湯子は眼に入れても入っても痛くない

  茶湯子(ちゃとうご)は
  命日に湯茶を手向けてもらいたい気持ちを込めたことばで、
  中国地方では末子をいう。
  末子や年とってからの子のかわいさをいう。

           ― 緑茶の事典 改訂3版(柴田書店)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

子や孫などへの溺愛ぶりをあらわす
「目のなかへ入れても痛くない」 という表現自体は身近なものの
「茶湯子(ちゃとうご)」 と限定しているのが面白いことわざ。

歳をかさねてから授かった子のことを 「茶湯子」 というのは
地域性なのか、あるいは古語なのか、聞き覚えのないことばで
手もとの古語辞典や 『広辞苑』 にも載っていなく
調べたなかでは唯一、『日本国語大辞典』 に

「末子。または、親が年取ってからできた子。
 親の忌日や盆、彼岸に、
 湯茶を手向けてくれることを期待した呼び名」

との掲載がありました。

そういえばお盆も近いですね。
仏前に 「茶湯(ちゃとう)」 を手向けるかは宗派によりますが
湯茶、とくにお茶でしたら煎茶を用いることが一般的なようです。

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お茶のことのは ●  湿り茶臼に鮨の押し

  茶臼(ちゃうす)は抹茶を作る石臼、
  湿気を持つと重くて挽けない。
  鮨(すし)は、なれ鮨。
  腹に飯を詰め重しをかけて作る。
  重い物のたとえである。

           ― 緑茶の事典 改訂3版(柴田書店)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

抹茶の原料である、碾茶(てんちゃ)という茶葉を
挽くのに用いる石臼を 「茶臼」 といいます。

今日、製茶メーカーでは
機械式の茶臼を用いることがほとんどですが
かつては、くるくると手挽きで製されていました。
茶葉が変質せぬよう熱をもたせず、しかも微細な粉にするために
重厚な臼を、ゆっくりと一定速度で回して挽くわけです。

しかも、昨今のようには
製茶場の温度や湿度の細かな管理が行き届かない時代。
「湿り茶臼」 、つまり臼が吸湿してしまうと
手挽きがより一層ずっしりとして、なおの力を要するところから
重いものをあらわす代表格として
いつしか、このようなことわざが生まれたようです。

一方の、「鮨の押し」 のほうは
鮨を製する際に用いる、石の重しのこと。
まさに重くなければ用をなさない道具です。

この鮨は、上記の語義にありますように
江戸前の握りではなく、古式のなれ鮨、いわゆる酸(す)し物です。
魚と塩、あるいは飯も重ね合わせ、その上に重石をのせて圧し
一定の期間、漬けこんで発酵させるタイプで
滋賀県の鮒(ふな)鮨などが有名ですね。
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お茶のことのは ●  茶道

【 茶道 (さどう) 】
  
  <1> →ちゃどう。
  <2> 茶頭(さどう)に同じ。

【 茶道 (ちゃどう) 】
  
  <1> 茶の湯によって精神を修養し、交際礼法を究める道。
      室町時代、村田珠光を祖とし、
      武野紹鷗を経て、千利休に至ってこれを大成、
      禅の精神を取り入れ、
      簡素静寂を本体とする侘茶をひろめた。
      利休の子孫は、表千家・裏千家・武者小路千家の
      三家に分かれて今に伝わり、その他門流多く、
      三斎流・織部流・遠州流・藪内流・石州流・
      宗徧流・庸軒流などの分派を生じた。さどう。
  <2> 茶の湯をもって仕える者。茶頭。

            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ― 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

歴史の授業ではたしか 「さどう」 と習った気がするのに
大人になると 「ちゃどう」 と聞くことも多いし…。
いったいどちらの読みかたが正しいのでしょう?

淹れかた教室などで、意外と訊かれることの多い
素朴な疑問のひとつだったりします。

もともとは古くより

 茶の道 = 「ちゃどう」

ということで言い習わされてきたことばです。

ところが実は、茶の湯の世界においても現在
流儀によって読みかたがまちまち。
私の属している流儀では 「ちゃどう」 なのですが
習慣的に 「さどう」 と読んでいる流儀もあります。

ただし一般には、「さどう」 に耳馴染みがあるというかたが
比較的多いように感じるため
個人的には、茶の湯の場を離れたときには
「さどう」 と言うように使い分けをしています。

では、辞書的にはどうなっているのか
上記に 『広辞苑』 の記述を挙げてみました。

「さどう」 「ちゃどう」 いずれとも掲載があって
両方の読みが誤りではないことがわかりますね。

ちなみに、放送用語としても
現在はどちらで読んでもいいことになっているのだそうです。
NHKのサイトに納得の記事がありました。

→ 「最近気になる放送用語  : 「茶道」 の読み」
   (NHK放送文化研究所
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 古くはチャドー、現在ではサドーが一般的だと言われています。
 (中略)
 かつてキッチャテンとも言われた 「喫茶店」 が
 現在キッサテンにほぼ統一されたように、
 「茶道」 もしだいにサドーに変化してきたことが推測されます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

「ちゃ」 より 「さ」 のほうが発音が楽ということからの
 便宜的に音を変化させる現象が
“お茶まわり” を代表することばでも起こっているのですね。

つくづく、ことはば生きものと思い知らされます。
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お茶のことのは ●  粗悪茶(そあくちゃ)

  粗悪な原料を用いたり、
  製造過程が不適切なためにできる良質でない茶。
  近代初期の茶の輸出で
  日本茶の海外進出を阻害する要因となった。
           ― 緑茶の事典 改訂3版(柴田書店)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

文字どおり、品質の良し悪しという幅どころか
大きく枠外にこぼれ落ちる、非常に低質なお茶のことですね。

茶史において、このことばがよく用いられる場面というと
明治前期におこった不正茶事件 です。

欧米での人気の高まりにこたえて
開国以降、日本でも茶生産がさかんになり
おもに外国人の貿易商社をとおして多くのお茶が輸出されました。

ただ残念なことに、日々増加する需要に応じるためか
たとえば、仕上がりがよくないお茶の見た目をよくするために
着色がほどこされたり。

さらにひどい場合には、かさを増すために
たとえば桑や柳などといった
お茶以外の植物が混合された偽物もあったとか。
今でいう、野草ブレンド茶、という感じのものだったのでしょうか。

これは 「贋茶(がんちゃ)」 などともいわれ
明治15(1882)年、オーストラリアで発見され国際問題となった
いわゆる 「不正茶」 もそのようなものであったといいます。

残念ながらこの時期、粗悪茶が多く輸出された一因として
かかる原価(仕入れ値)の率を下げて
懐に入る利益をかさ増ししたいがための
貿易商社による小細工もあったいうことですが…。

現代のように、収穫や製茶が機械化されていなく
生産には人手や時間を要したことが大きかったのでしょう。

手摘み・手揉みのお茶の美しさ、おいしさはひとしおですが
かつては一部の層の嗜好品であった緑茶が
多くのかたに、気軽に、安価に飲んでいただけるものとなったのには
機械による量産化という一大転換があったからこそなんですね。

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お茶のことのは ●  初茶(しょちゃ)

  一番茶(いちばんちゃ)のこと。
  関西方面で使われる。
           ― 緑茶の事典 改訂3版(柴田書店)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

毎年の初夏に出まわる、その年最初の芽吹きのお茶を
一般に 一番茶 とよびます。

一番茶があるからには 二番茶 もあったりするわけですが
一番茶のことを、はじめのお茶、というところから
関西方面では 「初茶」 ということもあるそうです。

このことば、私ども静岡の界隈では
さほど馴染みがないのですが。

ただ、ふだんの茶業者間や社内の会話では
いちばんちゃ、にばんちゃ、と逐一いうのは
若干長くて煩わしい感じがなきにしもあらず…。

そこで、一番茶、二番茶の 「番」 を省略してしまって
一茶(いっちゃ)、二茶(にちゃ)ということが多いですね。
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お茶のことのは ●  新茶(しんちゃ)

  <1> 新芽を摘んで製した、その年の新しい茶。
      香気が殊に高い。はしりちゃ。
  <2> (元禄時代の語)初めて出た遊女。
            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ― 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

あらためて、辞書にはどう記されているか見てみました。

古茶 に対応することばではありますけれども
単に、今年とれたお茶すべてをさすものではなくて
<1> に 「はしりちゃ」 とありますように
茶業界ではとくに、その年の “走り” のお茶をそうよびます。

お茶の新芽の成長期は、地形や気候などに左右されますので
出回り始める時季にはもちろん地域差がありますが
基本的には、晩春から初夏のうちに摘みとって製する
一番茶 にのみ使われることばですね。
夏場の二番茶、秋や冬にとれる番茶には通常用いません。

店頭などで販売されるものについては
新茶とうたうのは、せいぜい5、6月くらいまででしょうか。
盛夏にもなれば、このことば自体が用いられなくなります。

茶葉の保存技術が確立している今日は
実は、夏であっても冬であっても
ほぼ同じような品質のものがおいしく飲めるわけですが…。
旬との再会を喜び、新物を寿ぐ、この国ならではと感じます。

ところで、面白いのが <2> の意味。

茶屋 ということばは、実にさまざまな意味を含んでいて
そこで働く女性を茶国(ちゃこく)とよんだりしたことと
きっと関係があるのでしょうね。
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お茶のことのは ●  茶気(ちゃき)

  <1> 茶道の気。また、その心得。
  <2> 浮世ばなれした気質。変人の気質。
  <3> 人をちゃかす気質。茶目気。
            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ― 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

ちゃき、という響きには軽みがあってかわいらしくもあります。

ただ、これ、意味する範囲がずいぶんと広いんですね。
<1> のつもりで 「茶気があるね」 と褒めたのに
違う意味あいと誤解されてしまってはたいへん。
使用するさいの文脈には留意したいことばです。

おそらく上記3つのうちの <3> については
<1> や <2> と、語源というか由来は別で
語義にもある 「茶目(っ)気」 からきたものでしょう。
茶目気 → 茶気、と短縮されて慣用されたとも考えられます。

<2> の意味は <1> の発展形と考えて差し支えないでしょう。

ちなみに、生粋の、というような意味で
ちゃきちゃきの江戸っ子、などと用いる 「ちゃきちゃき」 は
こちらの 「茶気」 とは関係がないようです。
以前のブログ で触れましたように
「嫡々(ちゃくちゃく)」 の音変化といわれています。
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お茶のことのは ● 酒は酒屋に、茶は茶屋に

  ものごとにはそれぞれ専門があること。
  「着物は長持から、茶は缶子(かんす)から」 に同じ。 
  
         ― 緑茶の事典 改訂3版(柴田書店)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

文字どおりのシンプルなことわざです。

「餅は餅屋」 とか
「田作る道は農に問え」 なども同じ意味でしょう。
その道のことは専門家にまかせるのがいちばん、との意。

お客さまにそう思っていただけるお茶を製する、という責任を
こうしたことばに触れるたびに、ずしりと感じます。
コンビニエンスストアでも自動販売機でも、気軽に手近に
お茶と名のつく飲料が買える時代だからこそ…。

なお、上記 「着物は長持から、茶は缶子(かんす)から」 の
「缶子」 ということばについての補足を少し。

「缶」 は英語のcan、金属性の容器ですね。
いま、お茶まわりの 「缶」 のものというと
茶葉を保存する茶缶が即座にうかぶかもしれませんが
「缶子」 といえば実はそうではなく、別のものです。

身近な道具では 薬缶(やかん) をイメージしていただくと
いちばんしっくりくるかと思います。

江戸時代の中ごろまで、お茶は
今のように陶磁製の急須でお湯に浸して抽出するのではなく
金属製の薬缶などで、ぐつぐつと煮出す形で飲まれており
「茶は缶子から」 直接注がれるものでした。
おそらく、そういった旧習から出た言いまわしでしょう。 

余談ですが、むしろ 「缶子」 の 「缶」 という字を
同音同義の 「鑵」 と置きかえて 「鑵子」 と書いたほうが
見覚えがある、馴染みのあるかたもいらっしゃるかもしれません。

金属製、とくに真鍮や青銅を素材とした湯沸かし釜ですとか
茶の湯で用いる鉄製の茶釜を、そうよんだりしますね。
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