クリスマスですね。
日本茶とクリスマス、一見なんの関係もないようですが
実は、こんな話があります。
「キリスト教のミサにおける所作と、茶の湯の点前は似ている」
日本古来の茶道が、なぜ、ミサの作法に似ているとされるのか
ご存じなかったかたには、きっと突飛に感じられることでしょう。
たとえば、茶道の濃茶(こいちゃ)では
ひとつのお茶碗を、複数の客が“まわし飲み”します。
お茶碗の、自分が口をつけた部分を懐紙等できれいに拭ってから
隣に坐る客に手渡します。
この一連の動きが、ミサにおける“聖杯”の飲みまわしに
とても類似しているそうなのです。
茶道を大成した千利休は、戦国時代を生きたひと。
“利休七哲(しちてつ)”とよばれる、彼の7人の高弟のなかには
“キリシタン大名”として有名な、高山右近もいます。
また、利休自身の妻も、キリシタンだったといわれます。
(三浦綾子さんの 『
千利休とその妻たち (新潮文庫)』 は
それを題材にした、読みごたえ充分な小説ですよ)
ただし、利休自身がキリシタンだったという証拠は残っていません。
そういう説もあるようですが、いまだ推測の域を出ません。
しかしながら彼は、茶人であると同時に、堺の商人。
宣教師たちがもたらした、新しく魅力的な“南蛮文化”に
濃密に触れられる環境にありました。
初めてミサに接して、精神性の高い所作に感化・触発され
それを、茶の湯のお点前に合うように再構築していったことも
考えられるのではないでしょうか。
その一方で、茶道に造詣の深い
有馬頼底(ありまらいてい)・臨済宗相国寺(しょうこくじ)派管長は
下記の対談本のなかで
『
禅の心 茶の心』
有馬 頼底、真野 響子
(朝日新聞社)
たとえば、南方の先住民がマリファナを吸うときに
やはり、1本のキセルを順次回すように
「清いものを扱うということになると、
どの国でも大体似たような終着点に来る」と。
そして、お茶の作法は「室町から鎌倉へさかのぼって、
道元禅師が『百丈清規(ひゃくじょうしんぎ=禅宗の教団規則)』を
中国からお持ち帰りになってやられた。
そのときの所作がいまだに続いている」のであり
「それがたまたまミサの聖水を扱う所作と
ピタッと一致する」のではないか、とおっしゃっています。
いずれにしろ、当時の進んだ外来文化を積極的にとり入れ
再構築してきた、という意味では
“和”の文化の象徴のようにいわれる茶の湯も
世界に通じる価値観を有している、といえるのでしょうね。