トップページ > ブログ「お茶まわり」

 
CALENDAR
SMTWTFS
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2008 >>
ARCHIVES
PROFILE
MOBILE
qrcode
SEARCH
  • スポンサーサイト
  • 2016.03.31 Thursday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • - | -


前述の 『信楽汽車土瓶』 には、わが静岡もたびたび登場します。

まず、「記録に残っている中では最初に駅でお茶を販売したのが
明治22年の静岡駅でした」、という事実。
静岡駅が開業したのが、明治22年でしたから 
開業とほぼ時を同じくして販売開始したと推測できます。

「ガラス茶瓶によって汽車土瓶が壊滅的な打撃をうけたのち、
昭和元年に、いち早く陶磁器製の土瓶・茶瓶を復活させたのも
静岡駅でした」、との記述もありました。

また、昭和のはじめごろから 
「お茶は静岡 山は富士」という、ちょっとベタな標語と 
富士山のイラストが入った信楽製の汽車土瓶が 
静岡駅で売られていたようです。
ちょうど、本の表紙にもその土瓶の写真が使われていますが 
これは、駅弁の老舗、東海軒 さんが販売していたようですね。

なにか、ほっとさせるような風情のある、汽車土瓶。
現代は、電車移動には携帯性に秀でたペットボトルが優勢で 
残念ながら、お茶どころの静岡駅に降りたったからといって 
お茶の香りが漂ってくるわけではありません。

しかしながら、かつては富士山の雄大な景色とともに 
お茶の香りが、土地柄を語ってくれていたのかもしれませんね。
 
       *   *   *  
 
さて、いま、静岡駅とお茶、といえば 
地元ではよく知られているイベントがあります。

それは、新茶の初取引のころに毎年恒例で 
静岡駅の通路や新幹線ホームで行われる「新茶無料サービス」。

かすりの着物を身につけ、昔ながらの茶摘み姿にふんした茶娘が 
駅を利用するかたがたに、新茶を振舞ってくれます。
このサービスは、静岡市の茶商組合のご尽力によって 
昭和27年から毎年続けられており、実は歴史があるんです。

もはや、静岡の風物詩のひとつですね。
  • - | -


信楽汽車土瓶 (別冊淡海文庫 (16))
信楽汽車土瓶 (別冊淡海文庫 (16))
畑中 英二 編 (サンライズ出版

ペットボトルや缶の緑茶飲料が登場する以前 
駅弁とともに売られていたのは 
軽くて割れない、ポリエチレン容器入りの、温かいお茶。

では、さらにその前は、というと。
ほんの一時、ガラス製の容器が使われたこともありますが 
W・H・ユーカースの本 に紹介されているのはガラスですね)
長く愛用されていたのは、陶器の“汽車土瓶”。
のみの市や古道具店で、見かけたかたもいらっしゃるでしょう。

明治5年に、新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が誕生して以来
またたく間に路線は延び、鉄道網が発達していきました。
駅弁とお茶のニーズも、どんどん増したことでしょうね。
もちろん、お茶を入れて販売するための、汽車土瓶も。

その主産地が、日本の六古窯のひとつ、信楽(しがらき)でした。
出荷の最盛期は、明治後期から大正初期にかけてで 
このころは、専門でつくる窯元もあったほどだとか。

この汽車土瓶の歴史と、つくり手たちのドラマをひもとくのが 
地元・滋賀県の出版社が刊行した、本書です。

図版が満載で、かつての汽車土瓶の拡がりを眼で実感できます。
信楽をはじめ、各地でつくられた土瓶が多数紹介れており 
なかには、南満州鉄道会社(満鉄)のためにつくられたという 
幻の試作品まで。
これが、なかなかお洒落なんです。

駅名が記された土瓶は、旅の気分を高揚させてくれる 
いい小道具でもあったことでしょうね。
  • - | -


上煎茶の「萌黄(もえぎ)」。
この茶銘は、日本の伝統色からいただきました。

“萌”と“黄”、ふたつの漢字が示すとおり 
春になって草木が芽ぐむときの、黄みがかった明るい緑です。
春、そして、若々しさの象徴。

ウィキペディアの「萌黄」の項 に、色が表示されています。

上質な煎茶の水色(すいしょく=抽出液の色)を 
この萌黄ということばで表現することが、よくあります。
緑の色調のもととなる、微量の“クロロフィル”が含まれるため 
上品な萌黄色を呈するのだといわれます。

一方、並〜下級煎茶の水色は、黄みが強いですね。
下級茶に多いとされる“カテキン”は黄色っぽくて 
その濃度が高くなるほど、にぶい褐色に近づいていきます。
カテキンは健康にいいとされるけれど、実は色みが欠点なんです。

本品は、上質な一番茶を選別することによって生じる 
美しい萌黄の水色をご堪能いただきたい、ということで 
自信を持って、この茶銘といたしました。

通販なら、100g 520円で買える、ワンランク上の日用茶。
もうじきの春を待ちながら、一服いかがでしょうか。
  • - | -


200801280836000.jpg
九重本舗 玉澤(宮城・仙台)製 「霜ばしら」

麦芽水飴を丸めては延ばし、丸めては延ばし。
ひたすらに作業を重ねて気泡を含ませ、白くした飴を 
ひと口大に切ったものが、この「霜ばしら」です。

透明感のある色あいに、はらりとした口融け。
これほど、日本の冬の風趣を体現しているお干菓子は 
そう多くはありますまい。

この美しい飴に出会えるのは、晩秋から早春までの短い間。
空気が乾燥した時期にしかつくれない、というところも 
自然との蜜月を感じさせます。
  • - | -


ひらがなの美学 (とんぼの本)
ひらがなの美学
石川 九楊
(新潮社)

今から1100年ほど前、忽然と現れた、ひらがな。
書家である著者は、こう語ります。

「にわかには信じ難い話かもしれませんが、
 日本人の美意識の根源、美の原型の片方は、
 すべて女手(おんなで=ひらがな)の分かち書きからはじまる」

著者のいう“分かち書き”とは、一首の和歌を書にしたためるとき 
上の句と下の句を、ふたつの塊にレイアウトすること。

この“分かち書き”のなかにみられる
行頭行末を右から左へ徐々に下げていく“斜めの美学”や 
上の句と下の句のふたつの塊を隔てる“間の美学”が 
日本人の美意識に脈々と流れている、というのです。

左右非対称の美。
書はもとより絵画にも、確かにその流れがある、と。
有名絵画を例に挙げての言及には、とても興味深いものが。

たとえば、尾形光琳の 『紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)』
2本の梅を流水が隔てるさまは、“分かち書き”そのもの。
また、長谷川等伯の 『松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)』 で 
松を見え隠れさせる霧も、確かに“間”がみせる美です。

浮世絵や春画を生んだのも女手の美学だと語る、この本は 
絵画の愉しみかたを、大いに示唆してくれます。

もちろん、書そのものも。
ひらがながみせるフォルムの優美さや、非対称のバランスを 
逆に、絵画を愛でるように味わいたくなります。

書は何と書いてあるか判らないから、なんて敬遠しないで 
これからは積極的に触れてみたいと思わせてくれる一冊です。
  • - | -


白い馬の季節
白い馬の季節』 
監督・脚本: ニンツァイ(寧才) (2005 / 中国)

少雨などによる気候要因と、過放牧などによる人的要因から 
豊かだった草原は、砂漠化の一途をたどっています。

中国内モンゴル自治区の、気高き草原の民、ウルゲン一家。
例外にもれず、この家族も愛馬を手放し、遊牧民の暮らしを捨て 
町へ移り住まざるをえない状況にまで追いこまれます。

パオに住み、伝統的な遊牧生活をおくる人々の姿は 
今までも、映画や絵本等に、美しく叙情的に描かれてきました。

今回、やせて干上がった黄土色の大地を映像で見るにつれ 
残念ながら、生態環境の保護や回復が 
家族愛や、伝統文化への誇りとは容易に相容れない 
厳然たる現実に、やりきれない思いが残りました。

ところで。

この映画で多かったのが、家族がお茶を飲むシーン。
訪ねてきた人々にも、「お茶でもどうぞ」とすすめていました。

お茶を淹れる(つくる)ところのシーンがなかったのですが 
モンゴルでは一般的に、磚茶(たんちゃ)を飲むそうです。
プーアル茶と似た製法の“後発酵茶(こうはっこうちゃ)”で 
茶葉を、麹や酵母で発酵させてつくるので、やや個性の強い味。
それをギュッとプレスして、カチカチの固形にしてあります。

(人を訪ねる際に、この磚茶を土産に使うシーンもありました)

さて、飲むときは、磚茶を削り、大きな鍋や鉄釜で煮出します。
塩で味を調え、羊の乳を入れた、しょっぱいミルクティー。
チベットのバター茶よりも、脂肪分は淡白です。
これをたっぷり作り置きしておくのが、モンゴル流ですね。

以前、たしか下北沢のモンゴル料理店で飲んでみたことがあります。
思ったよりクセは気にならず、おいしくいただきました。
日本人の感覚からすると、お茶というよりスープに近い感じです。

疲れをいやし、労をねぎらい、栄養をいただく。
お茶はモンゴルのかたがたにとっても、不可欠のようです。
  • - | -


駿府公園 内には、家康のほかにも、銅像や記念碑があります。
お茶に関係する人物の銅像、といえばこれ。

200801271514000.jpg

お茶の優良品種「やぶきた」をはじめ 
多くの新品種を生み出した、静岡生まれの民間育成家 
杉山彦三郎(すぎやまひこさぶろう)翁です。
以前、やぶきたの原樹 をご紹介しましたね。

もともと、茶の生産に携わっていた彦三郎翁。
でも、あまり広い面積で、ひとつの品種をのみ栽培すると 
当然、新茶を摘みとるタイミングが一時に集中するために 
労働力不足などの問題が生じてきます。

それならば、早生、中生、晩生の品種を組み合わせれば 
茶摘みの時期がずれて、問題は解決する。
そう考えた彼は、自らの茶園で、独自で品種改良にあたり 
たくさんの優良な新品種を選抜しました。

そう、自腹で、です。
明治期にはまだ、現在の 野菜茶業研究所 のような 
新品種の開発を行う公的な研究機関がなかったんですね。
頭が下がります。

この銅像は、紅葉山庭園 出口近くの「マロニエ園」に 
ひっそりとたたずんでいます。
  • - | -


小堀遠州 が作事奉行を務めた、駿府城
徳川家康が将軍職を譲ってからのち、“大御所”として 
駿府(静岡)に居を構えたことは知られていますね。
この城があった場所は、いまは公園となっています。

私は、もう十数年前になりますけれど 
この公園を自転車でつっきって、高校へ通っていました。

当時は、だだっ広い公園、といった印象しかありませんでした。
でも、巽櫓(たつみやぐら)と東御門(ひがしごもん) が復元されて 
そのころとは、随分と雰囲気が変わっています。
お散歩にもってこいの場所になりました。

200801271459000.jpg

巽櫓を、お堀の外側から見たところです。

駿府城の天守閣は、非常に絢爛豪華なものだったようです。
駿府の町自体も、家康の大御所時代は大いに栄え 
江戸に次ぐ、2番目の大都市だったといわれますから 
往来はとても華やかで、活気があったのでしょうね。

しかし残念ながら、家康の死後、1635年に火災にあい 
天守をはじめ、ことごとく焼失したといいます。
その後の再建では、規模が縮小されたとか。
今はもう、その美しい姿を見ることはできません。

なお、巽櫓と東御門は、大人200円で内部の見学ができます。
駿府城の復元模型や、ジオラマもありますよ。

200801271511000.jpg

さて、公園内、本丸があった場所に、すっくと立つ家康像。
その手には、鷹が。
鷹狩りを好んだ家康、駿府でも大いに楽しんだと伝えられます。

昨年は、家康が大御所として駿府城に入城した1607年から 
ちょうど、400年目の節目でした。
それを記念して行われている事業 大御所四百年祭 のサイトにも 
家康の人柄をしのぶ、多くのエピソードが紹介されていますよ。
  • - | -


ひとつ前の記事 でご紹介した資生堂アートハウスがある掛川は 
丸玉製茶にとって、とても大切な場所です。

それは、弊社の 煎茶 アイテムを支える、良質な産地だから。

川根や牧之原、本山といった高名な産地に隠れ 
全国的には、あまり知られていないのが残念なところですが 
全国の品評会でもたびたび農林水産大臣賞を受賞している名産地。
弊社は、そんな 掛川茶 のなかでもとくに 
北部の山間地でとれるお茶にこだわっています。

山あいの地は、気候が比較的冷涼なうえ 
立ちこめる霧が、天然の“薦(こも)”となるため 
うまみが深く、芳醇な香味のお茶がとれるのです。
また、秘境の温泉地としても知られる、このあたりは 
土質が肥沃なためか、茶葉がより香り高くなるという利点も。

今日は全国的に、茶園管理のしやすさや収益性の観点から 
平地や台地での栽培が増えています。
大型機械を導入しづらい傾斜地は、確かに管理が大変です。

しかしながら、山のお茶の、えもいわえぬ風味は格別で 
弊社としては、これからもこだわり続けていく所存です。
(詳しくは公式サイト内 「まるたまのこだわり」 をご覧ください)

新茶のころの、手摘み茶の“みる芽”が放つ香りときたら!
シーズンはまだ先ですが、どうぞ、本年もご期待くださいね。
  • - | -


『版画のたのしみ −木版・銅版・リトグラフ−』
於・資生堂アートハウス(静岡・掛川)
2008年1月10日(木)〜3月30日(日)

掛川市の資生堂アートハウス、新年の展覧会は 
さまざまな技法の版画作品が一堂に会す内容となっています。

木版画、銅版画、リトグラフ、シルクスクリーン、等々。
静岡や近県に、美術館や記念館がある
池田満寿夫や中川一政、ベルナール・ビュフェの作品もあり 
静岡県民にとっても、楽しい作品群ではないでしょうか。

さて、版画と聞いてパッと浮かぶのは、浮世絵、というかたが 
日本には多いかもしれませんね。
『ボストン美術館名品展』 を観てから、あるいは観る前に訪れると 
また、面白いですよ。
版画という表現技法の懐の深さに、新鮮な驚きを覚えます。

さまざまな技法の作品が並列されていることで 
それぞれの、画家の手の動きまで見えるような気がしてきます。

たとえば、ひと口に木版画といっても 
その中に、凸版(とっぱん)と凹版(おうはん)があるそうです。
前述の浮世絵を例にとりますと、凸版ですね。
版の出っぱっている部分に絵具をつけ、刷りとる方法です。
江戸から明治にかけての印刷の主流でしたから 
われわれにも、なんとはなしに馴染み深いですね。

       *   *   *  
 
ところで、こうした企画の展覧会には 
自分が未だ知らぬ、お気に入りの画家を探す楽しみも。

私は特に、今回の企画展のチラシなどに使用されている 
小村雪岱(こむらせったい)の「春雨」、清冽な印象を受けました。
(現在 このページ に表示される作品です)
“昭和の春信”と評され、挿絵や舞台美術でも活躍した人だそう。
資生堂意匠部に在籍したこともあったようですね。

人物に興味のあるかたには、星川清司著『小村雪岱』がおすすめ。

小村雪岱
小村雪岱
星川 清司
(平凡社)

この本は 「松岡正剛の千夜千冊」 にもとり上げられています。
  • - | -

<<new | 1 / 4pages | old>>