『横浜・東京 明治の輸出陶磁器
― ハマヤキ故郷へ帰る ―』
於・
神奈川県立歴史博物館(神奈川・横浜)
2008年4月26日(土)〜6月22日(日)
今年は、日米修好通商条約の締結から150年。
そして来年は、横浜をはじめとする5港の開港から150年。
これらを記念するイベントが、いま各地で目白押しです。
横浜では、馬車道にある神奈川県立歴史博物館で
明治期に、西洋への輸出用に横浜や東京で生産された
“ハマヤキ(横浜焼)” を集めた展覧会が開かれています。
“ハマヤキ” といっても、ピンとこないかたが多いことでしょう。
生糸や
茶 とならぶ、重要な輸出品目だった陶磁器。
開港後には、横浜で西洋向けに精力的に生産され
最盛期の明治20年代には、まさにこの博物館があるあたりに
70超もの陶磁器商が軒を連ねていたとか。
ただし、横浜近郊でとれる土は焼成に適していなかったため
瀬戸や京都、九谷といった産地から素地を取り寄せて
そのうえに絵付と焼成を施したものが多かったようです。
洋食器が多く出品されていましたが
なかには香炉や茶入(ちゃいれ)といった茶道具もありました。
絵柄には、西洋で好まれる花鳥風月のほか
東洋的な人物図も多く描かれました。
現代人の目からすると、突拍子もない図柄もかなりあり
白磁に色絵と金彩で、屋島の合戦を描いた角皿や
忠臣蔵の場面を描いたティーセットなども。
ただ、これらもそうですが、驚くべきことに
非常に精緻で繊細な絵付で、気のこもった作品が多かったです。
この “ハマヤキ” 、通称 “ハマモノ” といえば
以前から国内の骨董の愛好家などにとって、奇抜で装飾過剰で
煩雑な仕事の品も多い、という通念が根強いのですが
実は、狩野派など、本格的に絵師としての修行を積んだ人物も
陶画工のなかにかなり存在したといいます。
さて、現代、横浜ではほとんど陶磁器が生産されていません。
衰退の一因は、第一次世界大戦による注文の減少や途絶だとか。
さらに、関東大震災でも大きな打撃をうけたようです。
ともあれ、輸出のためにつくられたがゆえに
国内にあまり残ることのなかった、“ハマヤキ” 。
開港の機運にのった人々から発せられる熱気を
里帰りした作品を媒介として、ぜひ感じてみてください。