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毎週、楽しみにしている新聞連載のひとつが
武者小路千家 の千宗屋(せんそうおく)さんによる
朝日新聞 木曜夕刊の 「千宗屋の茶のある暮らし」 。
昨日の話題は
日に数度、自宅のキッチンで点てていただくという
普段の抹茶の話でした。
「それまでの流れをリセットして日常と自分を切り離し、
見つめ直す貴重な時間」 という
千さんにとっての、キッチンでのお茶時間は
わたしたちが煎茶やコーヒーでひと息つく感覚と
そう変わらないのかもしれません。
そんなシーンは、お道具も必要最低限でOKで
「抹茶と茶筅(ちゃせん)、茶杓(ちゃしゃく)、茶こし缶、
80度のお湯」 に、それから 「大事なのが茶碗」 。
とくに、お茶をいただくのに不可欠の茶碗は
「形と寸法さえ適えば十分機能する」 ため
必ずしも茶道具としてつくられたものに限定せず
自分にとってかけがえのない器、であることが重要だと
千さんはつづっています。
高価でなくとも、由緒がなくとも、身近なものでいい。
でも、とりあえずの間に合わせ品ではなく
もっと、自分の心身のひだに寄り添ってくれるもの。
「たとえ茶碗一つでも
唯一無二のものに一瞬心を砕くだけで、
キッチンでの喫茶でも束の間、
非日常の一期一会が成り立つのだ」
締めくくりの、この一文が
茶の湯の世界にさす光明に感じられました。
お茶のことのは ● 一銭茶屋(いっせんぢゃや)
江戸時代、茶一服を1銭(1文)で売った茶店。
― 大辞泉 増補・新装版(小学館)より ―
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一銭(= 一文)で販売した、一碗のお茶。
売茶翁(ばいさおう) による 「一服一銭」 が有名です。
ただ、「一銭」 ということばは
数字どおり、きっかり代金が一銭の場合に限らず
わずかな金額をたとえるときにも用いられます。
「一銭の価値もない」 なんて言い回しもありますね。
それが冠された 茶屋 は、江戸庶民にとって
たとえば今日のチェーンのコーヒーショップなどよりも
さらに気軽に立ち寄れる場だったのではと推測されます。
ちなみに、江戸時代にはこのほか
「一銭剃り(いっせんぞり)」 なる商売もあったとか。
角川書店の 『新版 古語辞典』 によると
「結髪や月代(さかやき)・ひげなどを剃った床屋」 のことで
やはり代金は一銭だったそうです。
ほかに、「一銭○○」 とうたう商売といえば
私は即座に、関西で人気の 「一銭洋食」 が浮かびます。
お好み焼きの元祖ともいわれますが
この発祥は、日本でのソースの普及時期からすると
さすがに江戸時代まではさかのぼらないでしょうね。
選挙戦たけなわ。
先日、テレビの情報番組のなかで
公職選挙法に定められている
「飲食物の提供の禁止」 について言及していたのですが
これが、小骨がのどにささったように気になって。
公選法では、選挙運動に際して
一般の有権者への 「飲食物の提供」 が禁止されています。
ところが、これを定めた条文には
「湯茶及びこれに伴い通常用いられる程度の菓子を除く」
という但し書きがついているそうです。
選挙事務所でお茶を出す程度ならば
公選法違反ではない、とのことなのですが …
ひと口にお茶、といってもさまざま。
高級煎茶や玉露でも票の買収にあたらないのか、とか
弊社のお茶 でいえば 「特上」 ランクはNGかな、とか
市販のペットボトル茶はどうなんだろう、とか
素朴な疑問がいろいろわいてきます。
「通常用いられる程度の菓子」 というのも
イマイチよくわからない表現です。
いったい、何をもって 「通常」 としていて
どの範囲までなら許容されるのでしょうね。
その番組のコメンテーターによれば
「ミカン」 「せんべい」 「まんじゅう」 あたりは
構わないということになっている、との話でした。
せんべいやまんじゅうも、ピンキリだよなぁ。
うーん、やはり曖昧です。
では、きっぱりと一切禁止にしないのはなぜなのか?
ほんの一条項のことなのに、興味が尽きません。
静岡沖地震から10日が経ちました。
驚くことに、来たる東海地震の想定エネルギーは
今回の地震の比ではないといいます。
弊社でもあらためて、防災対策を総点検しております。
* * *
私もこの日、早朝の大きな揺れに飛び起きました。
ここ藤枝市は、気象庁の発表では震度5弱でしたが
自宅が築十数年のマンションの6階で
最新の免震構造がほどこされている建物でないため
大きな横揺れで、立ち上がることすらできませんでした。
それでも、揺れがおさまり、落ちついて部屋を見回すと
幸い家具の転倒はありませんでした。
家電や、棚の上の大きな花器などもセーフ。
「耐震マット」 や 「ミュージアムジェル」 といった
下に置いて固定するタイプのグッズが非常に有効でしたよ。
ホームセンターで手に入ります。
もうひとつ、胸をなでおろしたのが
食器棚のなかの、日用づかいの器や茶道具も
ひとつも欠けることなく無事だったこと。
器を何枚も重ねて収納するとき
クッションのかわりに器と器のあいだにはさんでいる
和紙や裂地(きれじ)、それに梱包用の 「ミラーマット」 が
すべり止めと緩衝材の役目を果たしてくれたようです。
もともと、上に重ねた器の高台が
下の器を傷つけないようにしていた配慮ですが
これが、散乱と破損を防いでくれました。
見ためは若干、野暮ったいけれども
多少の揺れならば効果があるのではと思います。
いちばん下の器を 「ミュージアムジェル」 等で固定すれば
なお効果的かもしれません。
地震のあとの片付けも、大変ですものね。
簡単な備えなので、ぜひお試しください。
『牧島如鳩展 − 神と仏の場所 −』
於・三鷹市美術ギャラリー (東京・三鷹)
2009年7月25日(土)〜8月23日(日)
この企画展のポスターやチラシ、インパクト大です。
(もちろん、デザインによるところもあるのでしょうが)
金の縁どりのなかに、どーんと掲げられているのは
「大自在千手観世音菩薩」 なのだけれど
いわゆる普通の観音菩薩とは、どこか違うのです。
仏画なのに、カンヴァスに油彩。
一見、チベットのタンカと見まごうほどあでやかな色彩で
ところが浮き出るように立体的で生々しい。
いや、それ以上にジリジリとした違和感をさそう理由は
たとえば、それぞれの手のなかの持物(じもつ)。
仏が持つべき法輪や錫杖、蓮華などに混じって
あるべきはずでない、キリスト聖堂らしきものやら
聖杯やら、ぶどうやら …
この絵がとにかく気になって、会場に足を運んだところ
キリスト教の要素が混じったような仏画が、ほかにも。
第二次大戦の空襲のさなか
遺体の安置所となったニコライ堂で描かれたという
「誕生釈迦像」 の、凛々しく神々しいこと。
圧巻は、不漁にあえぐ小名浜漁協の依頼で描かれた
大作の 「魚籃(ぎょらん)観音像」 。
この絵をトラックの荷台にのせて、町をお練りするや
豊漁に恵まれた、という後日談まで。
中世の布教活動をほうふつとさせるエピソードです。
不思議なもので、あの展示空間にいるとき
自然林のなかに抱かれているときのように
ざわざわと八百万の神々のうごめきを感じたのは
日本人ならではの心性でしょうか。
御仏を信ぜば神も一つなり
耶蘇(やそ)も仏陀も救世主なり
という歌を残した
これら仏画の作者、牧島如鳩(まきしま・にょきゅう)は
実は、ハリストス正教(ロシア正教)の伝教師だとか。
異なる宗教の神仏が、1枚の絵のなかに溶けあった
神仏習合ならぬ、「仏耶(ぶつや)習合」 。
宗教同士の垣根や約束ごとをこえ
圧倒的な包容力で描かれたこれら作品には
人々のただただ切なる願いが染みこんでいるかのよう。
こんな日本人が、明治から昭和を生きていたとは。
私たち現代人が生きる糧としての、祈りのひとつの姿が
ここに提示されているような気がしてなりません。