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  • 2016.03.31 Thursday

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長崎新聞のサイト に、興味深い記事が載っています。

幕末の長崎、最大の軍事品輸入港
 長崎税関発表、明治維新を支える

(7月29日付)

NHKの 『龍馬伝』 にちなんででしょうね。
「坂本龍馬が長崎を拠点に活動していたころ」 にあたる
1867(慶応3)年の、長崎港の貿易状況を
長崎税関 が発表したそうです。

(※ 長崎税関発表のPDFデータはこちら

1867年といえば、大政奉還が成立した年。

ということで、やはり輸入が多かったのは
総額の 「約4割、269万8千ドルを占め」 る軍事品でした。
辣腕(らつわん)のグラバーの存在も大きかったことでしょう。
ちょうどこの時期が、幕府、諸藩ともにこぞって
「艦船、大砲、小銃など」 を入手したピークのようです。

一方の輸出は。

さすがは お慶さん の長崎ですね。
それまで中国向けに多くの輸出量をほこっていた
海産の高級乾物、いわゆる “俵物” をもしのいで
「お茶が最も多く計約132万6千ドル」 だとか。

ちなみに 『[年表] 茶の世界史』 によれば
全国的に、このころ輸出割合が抜きん出て高かったのは
お茶ではなく生糸でした。

長崎が日本茶輸出のさきがけのひとつであったことは
こんなデータからも見てとることができますね。

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静岡は、恵みの雨。

猛暑、猛暑で覇気のなくなった身体には
多湿とはいえ、ずいぶんと過ごしやすい一日です。

熱中症、こわいものです。
今年はまた、被害を伝える報道の多いこと!
いのちをおびやかす要素が、ここまで至近にあることに
あらためて驚いています。

最近知ったのですが、症状のなかには
体温の上昇がみられないケースもあるそうですね。

熱中症にかかると必ず身体が熱くなる、とか
日ざしの当たらない室内ならば平気、という思いこみが
重症化を招きかねないのは悲しいことです。
皆が正しい知識を共有できる社会であらんことを …

ここ数日、熱中症とお茶の関係について
お客さまからいくつかご質問をお受けしたのですが
昨年も書きました とおり、熱中症対策には
お茶で水分をとっているだけでは安心とはいえないのです。

煎茶をはじめ、紅茶、コーヒーなどには
カフェインが含まれているので利尿作用があります。
そのため残念ながら、熱中症予防という点からは
これらを単品で飲むだけでは不充分といわざるをえません。

さらに、たくさん汗をかいた後はとくに
あわせて失われた塩分も補う必要があります。
専門家がすすめるとおり、暑い場所にいるときや発汗時には
食塩水やスポーツ飲料をとるのがよいでしょう。

汗をかいたあと、やっぱりお茶が飲みたいなと思ったら
必ず、塩けのあるものをお茶うけに添えてくださいね。

お茶に塩分をプラスしたアレンジドリンクもおすすめ。
カフェインの少ないほうじ茶をベースに
塩をひとつまみ加えた 塩茶 など、いかがでしょうか。

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201007280959000.jpg
若松園(愛知・豊橋)製 「黄色いゼリー」

美しく、「口に入れると溶けるように美味」 くて
「言葉で幾ら説明しても、説明できるとは思われな」 い。

それが、『しろばんば』 の主人公・洪作が
豊橋の繁華地区にある若松園の喫茶部で食べた
「黄色のゼリーの菓子」 でした。

若松園は実在の老舗の和菓子店です。
喫茶部がなくなり、このゼリーも一時は幻となりました。

井上靖生誕100年となった3年前
静岡県長泉町の井上靖文学館との縁によって復活し
現在は夏季限定で販売しているそうです。

日向夏の果汁を使用し
大きな甘夏がひと房、食感と色あいのアクセントに。
甘美な、つるつるとろとろの口溶け。
当時より贅沢な風味になっているのかもしれませんが
幼い “洪ちゃ” と、ときめきを共有できる愉しさ。

甘さ控えめ、柑橘のほろ苦みがほどよくて
暑い夏に涼風をはこんでくれます。
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お茶のことのは ● 茶葉(ちゃば)

  茶の木の葉。茶の原料となる葉。
            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

つい、耳が拾ってしまうのです。

某紅茶飲料のCMの、「ちゃば にばい」 というナレーション。

実際に口に出してみると
早口言葉のような言いづらさを感じます。
ちょっと舌足らずな私にとって、「ちゃば」 とだけいうのも
拗音(ようおん)プラス濁音の組み合わせで苦しいのに
濁音の 「ば」 がさらにもう1回出てくると、ますます …

私たちがCMで耳慣れている 「ちゃば」 は
以前の記事 に書いたとおり
まさにCMから生まれたことばで、意外と新しいのです。
『広辞苑』 に掲載されるようになったのも
つい2年前の、上記の第六版からのこと。

「ちゃば」 が自分にとって発音しづらい、という
悲しい現実的な理由もあるものの
私は、お茶の淹れかたをインストラクションするときには
茶業の学術用語に即して
あらかじめ補足を加えたうえで 「ちゃよう」 と言います。
一般的には 「ちゃよう」 はさらに馴染みがないですものね。

上等な、昔ながらの製法で仕上げた煎茶ほど
急須で淹れた抽出液は、水色淡く、濁らないものです。
お茶にまつわることばに濁音を多用したくない気分は
そのあたりが無意識に作用しているのかもしれません。

ただ普段の暮らしのなかでは、幼いころから変わらず
「おちゃっぱ」 あるいは単に 「おちゃ」 と言うのが
しっくりとくるのですけれど。

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黒地に、白いハート形。

201007261411000.jpg

ちっちゃなちっちゃな民芸品のようにもみえる、こちら。

山野に花の多くない夏季、とにかく茶花に重宝する
風船葛(ふうせんかずら)の種です。
直径はわずか5ミリ程度、不思議です。

ほおずきにも似た、ふんわり袋状の果実が青いうちは
中の種も未成熟で青いのですが
果皮がすっかり茶色く、カサカサになるころ
種はこんなカラーリングに変わっているんです。

この植物は、華奢な見ために反して、といいますか
暑さに強く、虫も比較的つきにくくて育てやすいです。
私は大きめの鉢植えで、あんどん仕立てにしています。

蔓(つる)の長さは軽々と背丈を超えていきますから
ゴーヤみたいに食べることはできませんけれども
“緑のカーテン” に仕立てるのも素敵ですね。

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お茶のことのは ● 茶瓶(ちゃびん)

  <1> 茶を煎(せん)じ出すのに用いるやかん。
      また、その代用にする釜(かま)や土瓶。
  <2> 江戸時代、武家の奥方などが遊山に出るとき、
      茶弁当を入れて持ち運んだ具。
      また、それを携えて供をした男。
  <3> 「茶瓶前髪(ちゃびんまえがみ)」 の略。
  <4> 「茶瓶頭(ちゃびんあたま)」 の略。
            ― 大辞泉 増補・新装版(小学館)より ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

このことば、今日ではあまり用いられなくなりました。

お茶を文字どおりグツグツと 「煎じる」 ということは
製茶法の発達した現代では、もはや一般的ではありません。

なので、<1> の語義のように
茶を煮出す用の やかん や土瓶を 「茶瓶」 と称することも
今日ではあまり見られなくなってきたのかもしれません。

<2> <3> については、もはや古語的。
事実、両方の意味ともに
この 『大辞泉』 や古語辞典には載っているものの
手もとの 『岩波国語辞典(第七版)』 では割愛されていました。

とくに <3> は私も初耳でしたので
念のため 『大辞泉』 に載っている語義を引用してみます。

「文化・文政(1804〜1830)ごろ、
 京坂地方で行われた男子の髪形。
 前髪を高くし、後ろの髷(まげ)と合わせて
 茶瓶の手のような形にしたもの。
 中流以上の家の子弟が結った」

というものだそうです。
うーん、どんな感じだったのでしょう?

やかんや土瓶の持ち手の部分に似ているといえば
横から見て、ちょうど半円形のような髪形。
ネット検索してみたものの、残念ながらイラストにヒットせず …
リサーチを続けてみます。

さて、<4> の 「茶瓶頭」 。
これが今日ではもっともよく使われることばかもしれません。

要はアレですね、「はげちゃびん」 ってやつですね。

これって、失礼千万(?)なことばではありますけれども
なんとなく語感に愛嬌というか、かわいらしさがあって
ヅラにちょびひげの 加藤茶さん のキャラを思い出します。

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東京の空の下オムレツのにおいは流れる
東京の空の下オムレツのにおいは流れる
石井 好子
(暮しの手帖社)

まだ海外経験のなかった、学生のころ
日本にいながらにして
普段着の異国の香りを浴びさせてくれた1冊です。

欧米随一の茶文化の国・イギリスの
「アフタヌーン・ティー」 と 「ハイティー」 のちがいを
的確に教えてくれたのも、この本でした。

石井好子さんの、2冊の 「オムレツ」 シリーズ。
日本エッセイストクラブ賞を受賞したという
巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』 は1954年
そしてこちらの続編は1985年に刊行されました。

2冊ともに、食にまつわる随筆が多数おさめられていますが
花森安治さんによる小さな小さな装画をのぞけば
あとはずぅっと、写植の文字だけ。

写真どころか、説明的な図解すら一切出てこないのに
カラフルで、ジューシーで、ふわりと香ばしいものに
たっぷりとふれたような読後感を味わえる。
そんな真正の料理随筆、近ごろとんと見かけないような …

若々しい感性でパリの街や食を描き出した 『巴里の〜』 から
ゆうに数十年もの年月を経て
ふたたび執筆された 『東京の〜』 は
壮年時代の女史の、達観ともいえる視線が味わい深くて。

石井さんの突然の訃報にふれ、本日再読してみたら
三十代の私には、この本のなかに
胸にせまることばが実に多く、あらためて驚いています。

「二十代には二十代の歌がある、
 四十には四十、六十には六十、
 若いときより、年をとれば、歌にも深みがますはずである。
 その人生の経験を、心から歌いあげることができれば、
 歌手として生きてきたしるしがある」

日本のシャンソン界の第一人者として
晩年まで精力的にご活躍された石井さんのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。
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201007201431000.jpg
藤太郎本店(静岡・富士宮)製 「富士のこけもも」

山梨のゼリー菓子 「はまなし」 同様に
富士山に自生するコケモモが用いられています。
物語性があって、富士登山のおみやげにもいいですね。

白い落雁部分は寒梅粉がメインで
懐かしさを感じるような、ごく素朴な風味。
そのなかにコケモモを使用した餡が入っています。

棹物(さおもの)なので、買った状態では外見が白く
切ると、断面に山形と餡の茶色があらわれます。
適度なしっとり感と固さがあるゆえ
包丁を入れるのが容易で、なおかつくずれにくいです。

落雁としては甘さがそれほど強くないものの
ひと口があまり大きいと、後味が重くなりそう。
お茶菓子として、お茶とのバランスを考えれば
1センチ弱の薄めに切り分けるとよいのではと思います。

ひと棹でゆうに十数人分がとれるお手ごろ感も
この商品の人気の理由かもしれませんね。

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先週の 毎日新聞 京都版に面白い記事が載っていました。

「きょうの饗:戦国武将の蒸し風呂 信長・秀吉、接待に活用?」
(7月16日付)

織田信長が上洛のたびに邸宅として用いていた
京都の 「二条御新造(にじょうごしんぞう)」 跡から
今年、桃山時代のお風呂の遺構が見つかっているそうです。

いや、お風呂といっても
今日一般的な、湯船のあるタイプとは異なっていて
「かまどの上にすのこを張り、湯を沸かして蒸す」 という
いわばサウナ的なもの。

すのこのすき間から上がってくる、かまどのお湯の蒸気で
身体を温め、また発汗してリフレッシュしたのでしょう。

以前、 『Bath Views』 という本の紹介記事
触れたことがありますが
まだ茶の湯が確立する以前の15世紀後半
お風呂とお茶に飲食までセットにしたような豪華な歓待が
奈良を中心に、さかんに行われました。

沸かし湯のお風呂が贅沢だったころならではの発想。
普段はまだ行水で身を清めていた時代です。

こうした催しは 「淋汗茶湯(りんかんちゃのゆ)」 といわれ
16世紀に生きた信長も、もしかすると新聞記事のとおり
自らが汗を流したばかりでなく
接遇のために活用した可能性がありますね。

美麗な庭園を望む、格好のビューポイントに建てられた
社交の場としてのサウナ風呂。
どんな雰囲気の空間だったのでしょう。

記事内で紹介されている 黄鶴台(おうかくだい) は
信長のお風呂とほぼ同時期につくられたもので
構造が比較的似ているかもしれませんね。
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徳川さん宅の常識
徳川さん宅(ち)の常識
徳川 義宣
(淡交社)

「“お点前” はいづれも型通りで見事なもんなんだらうが、
 こっちはそれが “表” だか “裏” だか、
 はたまた何流かなどさっぱりわからない。
 なにしろ足が痛くて “お点前拝見” どころぢゃない、
 一分でも三十秒でも早く終ることを密かに、
 ただ只管(ひたすら)冀(こいねが)っている次第である」

わかるわかる、型にはまったお茶事の堅苦しさ。
私も慣れないころはつらかったです、正坐。

あれ、徳川義宣さんといえば尾張徳川家の第21代当主。
徳川美術館の館長も務められたひとで
たしか茶道具についての著書もあったはず …
徳川美術館は茶の湯にまつわる収蔵品が多いし
毎年秋に盛大なお茶会が開かれることでも有名です。

なので意外でした。

「“お茶” つまり “抹茶のお稽古” は全くやったことがない」
のだそうです。

常識って、格式って、本質って何だろうと思うことがあります。
利休の時代は胡坐(あぐら)や立膝が一般的で
正坐の歴史はずいぶん新しい のに
いつからか、その格好で客一同もかしこまるのが
当たり前になった “茶道” です。

だから

「袱紗捌き(ふくささばき)がどうの、
 “裏” ではどうの “表” ではどうのと云った
 “お点前” や “お作法” を憶える気は起こらないし、
 第一、畳の上に座るのは大の苦手だから、
 細かな点前の規則だの流派だのの生まれる前、
 茶席でも正座でもなく立膝でよかった頃までの “お茶” を
 守備範囲とすることにしている」

なんてことばを読んだら、妙にうれしくなりました。

さて、この随筆集は茶の湯や美術についてばかりでなく
徳川家のことや、少年時代の思い出等々
内容は多岐に渡ります。

なかでも 「神話時代から起算すると二千六百五十年」 の
「特別な家業」 を継ぐ、同級生 「A」 の話は印象的でした。
徳川美術館にお迎えした後日譚もあったり。

語り口が洒脱でユーモラスでいて、核心をつくキレがあって。
現実世界ではもうお会いすることのかなわない粋人と
時をこえての対話がかなう一冊です。
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