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昨日のブログ でご紹介した本の著者は
石川県輪島漆芸美術館 の館長さんなのだそうです。
だからでしょうか、本を読んだらこれで一献したくなって。
一昨年、輪島の朝市通りの 涛華堂 さんで
溜塗のニュアンスが気に入って求めた酒器です。
独特の色みを携帯のカメラではとらえられないのが残念。
小さなボディながら、何人もの職人さんの手仕事を経て …
さて、漆のうつわは手入れが面倒と感じるかたが多いようです。
慣れてしまえば難しいことはありません。
基本的に、以下のようなことに気をつければ大丈夫かと。
◆ かたいタワシでガシガシこすらないこと。
◆ 熱湯ではなく、ぬるめのお湯で洗うこと。
◆ 洗剤は控えめに、でもクレンザーや漂白剤は使わないこと。
◆ 洗ったら、やわらかい布巾でよく水気をとってやること。
◆ 直射日光や過度の湿気にさらされない置き場所を選ぶこと。
どこででしたか、ずいぶん昔のことなので忘れましたが
自分の肌と同じように扱えばいい、と伺ったことがあります。
こうして留意点を羅列してみると、まさにそのとおりですね。
では、もしもキズがついてしまったら。
根来(ねごろ) の美しさを知っているからでしょう。
普段づかいのうつわについてしまった多少のキズならば
長い目でみれば、かえっていい味わいを生んだりしますので
私はたいして気になりません。
ただ、よほど残念なキズの場合や
茶道具の炉縁(ろぶち)など、キズでどうしても見劣りするものは
買ったお店や職人さんのところで補修してもらったり
上から漆を塗り重ねてもらうことも可能です。
日用品としては決して安くない買いものかもしれないけれど
一生もの以上の堅牢さを秘めている、真正の漆器。
やはり、よいものを選ぶのが大前提かと思います。
『現代工芸への視点 ― 茶事をめぐって』
於・東京国立近代美術館 工芸館(東京・竹橋)
2010年9月15日(水)〜11月23日(火・祝)
現代の現役の工芸作家による、茶の湯のうつわや
見立てのうつわを紹介する展覧会です。
現代の茶陶には、その存在感ばかりか
じっさい形状や意匠にもシャープな印象ものが多いですね。
お稽古茶道への意識的無意識的なアンチテーゼでしょうか。
亭主に、使いこなせる審美眼や力量があるかを試すような
挑んでくる感じのものが少なくないようにも感じます。
そうした現代のうつわにしぼった企画であるだけに
選択肢が限定されるなか、かつほぼ新品同士の取り合わせには
学芸員さんに相当のご苦労があったことと思います。
このあたりは現代ものの展示の難しさでもありましょう。
ただ、ひとつひとつのうつわは刺激的であるにとどまらず
ガラス越しであれ、手にとる瞬間の感覚がぱっと浮かんだりして。
こちらの手を拒絶しそうな外見でいて、案外吸いついてきそうな
そんな作品が少なくないことに愉しさをおぼえました。
茶の湯に関心があるけれどまだスタートしていないかたや
お茶事の経験がまだ多くないかたには
現代の茶陶にこんな造形美の世界もあることを知り
お気に入りのつくり手と出会う、よい機会となるでしょう。
私が惹かれたのは、新里明士氏 《黒陶碗》 のたたずまい。
光悦などもそうですが、無条件に両手で包みたくなる茶碗には
なにか、お茶の気が増幅するかのような
時空を超えた普遍のまろみ、普遍の造形感覚がありますね。
日用のうつわも多く手がける内田鋼一氏の
《加彩茶壺》 にも快い衝撃を受けました、忘れられません。
自分の製したお茶を委ねてみたい、そんな緊張感と包容力。
この人の急須で淹れたお茶がうまいわけだと、妙に納得したり。
自分ならば、誰のためのお茶事で
どんな空間、どんな取り合わせで用いようか、など考えながら
ひとつひとつの容れものからイマジネーションを拡げる面白さを
ぜひ味わってみてください。
開館15周年記念特別展 『田中一村 新たなる全貌』
於・千葉市美術館 (千葉)
2010年8月21日(土)〜9月26日(日)
※ このあと 鹿児島市立美術館 と
田中一村記念美術館(奄美) に巡回します。
50歳になって奄美に移住し
日本画では珍しく、亜熱帯独特の花鳥や風土を主題に描き
無名のまま69歳で生涯をとじた画家、田中一村(いっそん)。
日本のゴーギャン、とか。
孤高、とか。
過去の 「再発見」 以来、まるでブームのような状況下で
深慮なくつけられているように感じざるをえなかった
キャッチコピー的な修辞の数々。
人物像までも、ある種の寓話化を余儀なくされていた一村を
今回ようやく解き放った、画期的な特別展と感じました。
少年期に南画を学んだという素地のうえに
さまざまな画風や画題を模索し、行きつ戻りつしながら
アミニスティックな奄美での作品世界にたどりつくまで …
関係者の丹念な調査で今回発見されたものも含め
初期から晩年まで、資料も含めれば約250点という
まとまった量感に触れられる展示空間です。
奄美時代の作では、《アダンの海辺》 のような
画題をクローズアップして原色系の彩りをほどこしたものが
ザ・一村、という印象ではあるものの
私が会場をひと巡りしたあと、後ろ髪をひかれ戻ったのは
墨中心で色を抑えたモノトーン調のものでした。
ビロウの葉が折り重なる 《枇榔樹(びろうじゅ)の森》 。
描き出される植物の生気に、とうとうと神性すら漂います。
森のしめったような、深い息づかいが
画面から展示室を浸蝕してくるかのごとく包まれる感覚。
これを茶掛けにしたらとんでもない空間があらわれるぞ、と
ひとつの空間にたった一幅だけの贅沢な光景を想像したら
ますます離れがたい気持ちになりました。
先日、NHKの 『日曜美術館』 で紹介され
かつ私が訪れたのは週末ということもあり、混んでいました。
今展の図録が、とても充実した素晴らしい仕上がりで
作品解説もきっちり収録されていますから
会場では、かたわらのキャプションをつぶさに読むよりも
心ひかれた画とじっくり向きあって過ごすことをおすすめします。
華正樓(神奈川・横浜)製 「麻花(まぁふぁー)」
はるか昔、遣唐使によって
大陸の珍しいお菓子の数々が日本へもたらされました。
「唐菓子(とうがし、からくだもの)」 といわれるそのひとつに
生地を縄状にして細長くのばし、油で揚げた
「索餅(さくへい、さくべい)」 があったそうです。
一説にはなんと、そうめんのルーツともいわれる索餅。
当時の文献に多少の記載があるものの
現在までつくり続けられてこなかったために
どんなお菓子だったのかは推測の域を出ませんけれど
中華菓子の麻花、もしかしたら
これと似た感じのものだったのかもしれません。
練った小麦粉を、やはり麦縄のように細長く成形して
植物油でからりと揚げてあります。
華正樓さんのはプレーンとごまの2種類。
かりっとした歯触りのあとに、ほんのり甘さが広がります。
揚げ菓子のおともには ほうじ茶 がよく合いますよ。
新聞の、文化面や社会面ではなく
珍しく国際面に 「茶会」 ということばが出てくると驚きます。
「【海外】 米中間選挙 : 共和党優勢の流れ
茶会運動が勢い見せつける」
(9月15日付 毎日新聞)
アメリカの保守系市民らによる運動 「ティーパーティ」 を
日本のメディアは 「茶会運動」 「茶会」 と紹介していますね。
「パーティ」 といえば、英語で政党や党派をあらわすことば。
まさに政治運動をしている市民グループなのに
どうして 「茶党」 ではなく 「茶会」 なのだろう …
という違和感をおぼえたのは、私だけではないのでは。
この 「ティーパーティ」 という名ですが
上の新聞記事によりますと
「米独立前、英国からのお茶の輸入課税に反対し、
独立戦争につながった 「ボストン茶会事件」 にちなんで
名付けられた」
とか。
そういうことだったのですね。
1773年の、ボストン茶会事件。
当時はイギリスの植民地だったアメリカで
入植者たちが、イギリス東インド会社の貿易船を襲撃して
大量の茶葉をボストン湾に投げ捨てたという事件です。
その量、なんと342箱とも。
ボストンの急進派市民たちに激しい反感をおこし
そうした行動へと駆り立てたのが
イギリスの制定した 「茶条令 (「茶法」 とも)」 だといいます。
イギリスが、破産寸前のイギリス東インド会社に有利なように
北アメリカ向け茶商品の税金を免除し
しかも現地代理店に専売権をあたえるという内容でしたから
入植商人たちの反感をまねいたのも当然でしょう。
アメリカでも当時、紅茶はよく飲まれていたものの
その後のイギリス政府の報復行動に対する抵抗もあって
イギリス紅茶の不買運動が広がったそうです。
ちなみに、コーヒーがアメリカで市民権を得るにいたったのは
まさにこの紅茶不買運動がきっかけだったとか。
はたして翻弄されたのは、人間なのかお茶なのか …
独立戦争の導火線となった大事件に
馥郁たるやさしげな嗜好飲料がかかわっていることを思うと
なんとも不思議な感じがします。
※ 参考文献
『緑茶の事典 改訂3版』 (柴田書店)
NPO法人 日本茶インストラクター協会
の主催による