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  • 2016.03.31 Thursday

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新版 茶人のことば
新版 茶人のことば
井口 海仙
(淡交社)

もとは昭和32年に初版というロングセラー。
12年前に、仮名づかいや漢字表記をあらためて
若年層にも抵抗なく読めるようにしたのが、この新版です。

「利休百首」 「茶人名言集」 「茶人の逸話」

の3章立てとなっています。

同じ著者の 『利休百首』 (非常に便利です)を持っているため
これは今まであえて買わずにきたのですが
今回はじめて開いてみたら、他の章が読み物的に面白い。

とくに 「茶人の逸話」 。
知らなかったものも意外とたくさん収録されていました。

歴史上名高い人々の、茶人としてのすごさばかりでなく
失敗談もいろいろ紹介されていて親近感をおぼえます。
茶の湯そのものも身近に感じられることでしょう。
クラブ活動などで、お茶のお稽古をはじめたばかりの
学生さんにもおすすめします。

逸話には、口伝えによる寓話的なものも少なくないものの
そこに今日にも通じる真理がひそんでいるのを見出すたび
なにやらしみじみとした気持ちにさせられます。

最近、NHKの 『龍馬伝』 を欠かさず観ているからか
とくに印象に残ったのは 「志士と茶事」 という話。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 新撰組が都大路を闊歩(かっぽ)して、勤皇の志士が、次から次へ尊い血潮を流した維新前のことである。京都大仏池田町辺に一人の虚無僧(こむそう)が住んでいた。もとは長州藩の侍だったということだが、裏千家流の茶道を学んで、今では大小も捨て、住居中に 「太柱」 という茶席を設け、騒然たる世相をよそに、茶の湯に親しんでいた。
 ある日、友人から茶事に招かれて、その席に行っているところへ、新撰組の捕方(とりかた)が大勢押しかけてきて、その虚無僧を捕えようとした。その時はちょうど懐石が終わる頃で、虚無僧は吸物椀を手にしていたが、捕方に向かい 「どなたもおしずまり下され、決して逃げ隠れは致さぬ。暫時がほどお待ち下さい」 と言って、吸物を静かに吸い終わり、懐中紙を出して、膳椀(ぜんわん)をきれいに拭うてから、「さらば縄かけられよ」 と言って、両手を後ろに回した。
 この虚無僧の名は逸したが、虚無僧に身を扮した勤皇志士であったのだろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そういえばあの時代の京都には
勤皇の志士をかくまった、いわゆる勤皇僧もいたようで
その周辺で血なまぐさい事件もあったと聞きます。

僧侶も、茶に通じた粋人も多い町ですから
このような逸話も実際にあったことかもしれませんね。

しかし茶の湯、時代を映すエピソードの実に多いこと。
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昨日のブログ でご紹介した本の著者は
石川県輪島漆芸美術館 の館長さんなのだそうです。

だからでしょうか、本を読んだらこれで一献したくなって。

201009291026000.jpg

一昨年、輪島の朝市通りの 涛華堂 さんで
溜塗のニュアンスが気に入って求めた酒器です。
独特の色みを携帯のカメラではとらえられないのが残念。

小さなボディながら、何人もの職人さんの手仕事を経て …

さて、漆のうつわは手入れが面倒と感じるかたが多いようです。
慣れてしまえば難しいことはありません。
基本的に、以下のようなことに気をつければ大丈夫かと。

◆ かたいタワシでガシガシこすらないこと。
◆ 熱湯ではなく、ぬるめのお湯で洗うこと。
◆ 洗剤は控えめに、でもクレンザーや漂白剤は使わないこと。
◆ 洗ったら、やわらかい布巾でよく水気をとってやること。
◆ 直射日光や過度の湿気にさらされない置き場所を選ぶこと。

どこででしたか、ずいぶん昔のことなので忘れましたが
自分の肌と同じように扱えばいい、と伺ったことがあります。
こうして留意点を羅列してみると、まさにそのとおりですね。

では、もしもキズがついてしまったら。

根来(ねごろ) の美しさを知っているからでしょう。
普段づかいのうつわについてしまった多少のキズならば
長い目でみれば、かえっていい味わいを生んだりしますので
私はたいして気になりません。

ただ、よほど残念なキズの場合や
茶道具の炉縁(ろぶち)など、キズでどうしても見劣りするものは
買ったお店や職人さんのところで補修してもらったり
上から漆を塗り重ねてもらうことも可能です。

日用品としては決して安くない買いものかもしれないけれど
一生もの以上の堅牢さを秘めている、真正の漆器。
やはり、よいものを選ぶのが大前提かと思います。

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漆の文化史
漆の文化史
四柳 嘉章
(岩波新書)

中国の、レアアース(希土類)の対日輸出規制を聞くや
大きな騒ぎとなった日本ですが …
日本が中国に依存しているのは、そればかりではありません。

「japan」 「japanese lacquer」

という海外での呼称に、日本人として誇りをおぼえる、漆です。

「現在日本国内における漆需要量の
 九八パーセント前後が中国産(輸入量100トン台)で、
 ベトナム産・ミャンマー産がこれに次ぐ。
 日本産漆は約一パーセントでしかない。」

そんな現実に、大きなショックを受けました。

漆掻き職人の高齢化も一因とのことですが
昭和から平成の世の、消費者のうつわ選びのありかたが
漆器産業の衰微に追いうちをかけてきたのは明白でしょう。

ただ、だからこそ、昨今のうつわ人気の高まりにともなって
良質な漆器も見直される機運があることに望みを託したい。
棗(なつめ)、お盆、茶托(ちゃたく)、等々
お茶まわりにも漆のお道具は欠かせないのです。

日本では、磁器やガラスが用いられるようになるずっと昔の
縄文時代から漆が親しまれてきました。
著者によれば、漆を接着剤として補修に使う 「漆つぎ」 の技も
やはり縄文にさかのぼれるというから、驚きます。

遺跡の土中から発見された、物いわぬ 「名もなき漆器たち」 に
赤外線を用いた化学分析で、まさに光をあててきた著者。
なかでも私が興味をひかれた調査品が
広島・福知山市の草戸千軒町遺跡で出土したという
「漆塗りの細い竹筒で、上端の対面に穿孔がある」 中世のうつわ。

こまかな分析から導き出された、このうつわの用途が
意外なことに 「掛け花入」 だというのです。

というのも竹製の 「掛け花入」 は、茶の湯の世界では長らく
16世紀終わりの千利休の創意といわれてきたから。
花を入れるうつわの、利休以前の中世での多様性が
こうした地道な分析から明らかになるのは面白いものですね。

いま、漆器に長い時間をかけて集積された知恵と手技を思います。
日本における漆の文化・技法の変遷がとらえやすいこの本は
職人が丹精したうつわへの愛情が増す妙薬となりましょう。
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街の規模のわりに、よい居酒屋が多いと感じる藤枝市。
毎年恒例の 「藤枝居酒屋グランプリ」 が
今年も、先週末からスタートしました。

今回のテーマは 「アットホーム コロッケ対決」 。
地場の素材をさまざまに用いた独創性あふれるコロッケを
11月7日(日)まで、市内14の参加店舗で楽しめますよ。

弊社の 緑茶割り用顆粒茶 をご愛用くださっている
遊酒 岡むら 様、五十海 しぃぼー 様も参戦しています。

緑茶割り(静岡割り)をおともに
藤枝の居酒屋文化の熱気を味わってみてくださいね。
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『現代工芸への視点 ― 茶事をめぐって』
於・東京国立近代美術館 工芸館(東京・竹橋)
2010年9月15日(水)〜11月23日(火・祝)

201009201048000.jpg

現代の現役の工芸作家による、茶の湯のうつわや
見立てのうつわを紹介する展覧会です。

現代の茶陶には、その存在感ばかりか
じっさい形状や意匠にもシャープな印象ものが多いですね。
お稽古茶道への意識的無意識的なアンチテーゼでしょうか。
亭主に、使いこなせる審美眼や力量があるかを試すような
挑んでくる感じのものが少なくないようにも感じます。

そうした現代のうつわにしぼった企画であるだけに
選択肢が限定されるなか、かつほぼ新品同士の取り合わせには
学芸員さんに相当のご苦労があったことと思います。
このあたりは現代ものの展示の難しさでもありましょう。

ただ、ひとつひとつのうつわは刺激的であるにとどまらず
ガラス越しであれ、手にとる瞬間の感覚がぱっと浮かんだりして。
こちらの手を拒絶しそうな外見でいて、案外吸いついてきそうな
そんな作品が少なくないことに愉しさをおぼえました。

茶の湯に関心があるけれどまだスタートしていないかたや
お茶事の経験がまだ多くないかたには
現代の茶陶にこんな造形美の世界もあることを知り
お気に入りのつくり手と出会う、よい機会となるでしょう。

私が惹かれたのは、新里明士氏 《黒陶碗》 のたたずまい。
光悦などもそうですが、無条件に両手で包みたくなる茶碗には
なにか、お茶の気が増幅するかのような
時空を超えた普遍のまろみ、普遍の造形感覚がありますね。

日用のうつわも多く手がける内田鋼一氏の
《加彩茶壺》 にも快い衝撃を受けました、忘れられません。
自分の製したお茶を委ねてみたい、そんな緊張感と包容力。
この人の急須で淹れたお茶がうまいわけだと、妙に納得したり。

自分ならば、誰のためのお茶事で
どんな空間、どんな取り合わせで用いようか、など考えながら
ひとつひとつの容れものからイマジネーションを拡げる面白さを
ぜひ味わってみてください。

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開館15周年記念特別展 『田中一村 新たなる全貌』
於・千葉市美術館 (千葉)
2010年8月21日(土)〜9月26日(日)
※ このあと 鹿児島市立美術館
  田中一村記念美術館(奄美) に巡回します。

201009191012000.jpg

50歳になって奄美に移住し
日本画では珍しく、亜熱帯独特の花鳥や風土を主題に描き
無名のまま69歳で生涯をとじた画家、田中一村(いっそん)。

日本のゴーギャン、とか。
孤高、とか。

過去の 「再発見」 以来、まるでブームのような状況下で
深慮なくつけられているように感じざるをえなかった
キャッチコピー的な修辞の数々。
人物像までも、ある種の寓話化を余儀なくされていた一村を
今回ようやく解き放った、画期的な特別展と感じました。

少年期に南画を学んだという素地のうえに
さまざまな画風や画題を模索し、行きつ戻りつしながら
アミニスティックな奄美での作品世界にたどりつくまで …

関係者の丹念な調査で今回発見されたものも含め
初期から晩年まで、資料も含めれば約250点という
まとまった量感に触れられる展示空間です。

奄美時代の作では、《アダンの海辺》 のような
画題をクローズアップして原色系の彩りをほどこしたものが
ザ・一村、という印象ではあるものの
私が会場をひと巡りしたあと、後ろ髪をひかれ戻ったのは
墨中心で色を抑えたモノトーン調のものでした。

ビロウの葉が折り重なる 《枇榔樹(びろうじゅ)の森》 。
描き出される植物の生気に、とうとうと神性すら漂います。
森のしめったような、深い息づかいが
画面から展示室を浸蝕してくるかのごとく包まれる感覚。

これを茶掛けにしたらとんでもない空間があらわれるぞ、と
ひとつの空間にたった一幅だけの贅沢な光景を想像したら
ますます離れがたい気持ちになりました。

先日、NHKの 『日曜美術館』 で紹介され
かつ私が訪れたのは週末ということもあり、混んでいました。
今展の図録が、とても充実した素晴らしい仕上がりで
作品解説もきっちり収録されていますから
会場では、かたわらのキャプションをつぶさに読むよりも
心ひかれた画とじっくり向きあって過ごすことをおすすめします。

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201009171434000.jpg
華正樓(神奈川・横浜)製 「麻花(まぁふぁー)」

はるか昔、遣唐使によって
大陸の珍しいお菓子の数々が日本へもたらされました。

「唐菓子(とうがし、からくだもの)」 といわれるそのひとつに
生地を縄状にして細長くのばし、油で揚げた
「索餅(さくへい、さくべい)」 があったそうです。

一説にはなんと、そうめんのルーツともいわれる索餅。
当時の文献に多少の記載があるものの
現在までつくり続けられてこなかったために
どんなお菓子だったのかは推測の域を出ませんけれど
中華菓子の麻花、もしかしたら
これと似た感じのものだったのかもしれません。

練った小麦粉を、やはり麦縄のように細長く成形して
植物油でからりと揚げてあります。

華正樓さんのはプレーンとごまの2種類。
かりっとした歯触りのあとに、ほんのり甘さが広がります。

揚げ菓子のおともには ほうじ茶 がよく合いますよ。

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新聞の、文化面や社会面ではなく
珍しく国際面に 「茶会」 ということばが出てくると驚きます。

【海外】 米中間選挙 : 共和党優勢の流れ
 茶会運動が勢い見せつける

(9月15日付 毎日新聞

アメリカの保守系市民らによる運動 「ティーパーティ」 を
日本のメディアは 「茶会運動」 「茶会」 と紹介していますね。

「パーティ」 といえば、英語で政党や党派をあらわすことば。
まさに政治運動をしている市民グループなのに
どうして 「茶党」 ではなく 「茶会」 なのだろう … 
という違和感をおぼえたのは、私だけではないのでは。 

この 「ティーパーティ」 という名ですが
上の新聞記事によりますと

「米独立前、英国からのお茶の輸入課税に反対し、
 独立戦争につながった 「ボストン茶会事件」 にちなんで
 名付けられた」

とか。
そういうことだったのですね。

1773年の、ボストン茶会事件。

当時はイギリスの植民地だったアメリカで
入植者たちが、イギリス東インド会社の貿易船を襲撃して
大量の茶葉をボストン湾に投げ捨てたという事件です。
その量、なんと342箱とも。

ボストンの急進派市民たちに激しい反感をおこし
そうした行動へと駆り立てたのが
イギリスの制定した 「茶条令 (「茶法」 とも)」 だといいます。
 
イギリスが、破産寸前のイギリス東インド会社に有利なように
北アメリカ向け茶商品の税金を免除し
しかも現地代理店に専売権をあたえるという内容でしたから
入植商人たちの反感をまねいたのも当然でしょう。

アメリカでも当時、紅茶はよく飲まれていたものの
その後のイギリス政府の報復行動に対する抵抗もあって
イギリス紅茶の不買運動が広がったそうです。
ちなみに、コーヒーがアメリカで市民権を得るにいたったのは
まさにこの紅茶不買運動がきっかけだったとか。

はたして翻弄されたのは、人間なのかお茶なのか …
独立戦争の導火線となった大事件に
馥郁たるやさしげな嗜好飲料がかかわっていることを思うと
なんとも不思議な感じがします。


※ 参考文献
  『緑茶の事典 改訂3版』 (柴田書店)

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お茶のことのは ● 茶年貢(ちゃねんぐ)

  江戸時代、茶畑に課した税金。
            ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ―

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江戸時代の税金といえば
田畑に課せられた本年貢が思い浮かびますね。

お茶も当時の税源のひとつだったといいます。
田畑以外の雑税、小物成(こものなり)に含まれるものです。

辞書には江戸時代と説明されていますが
江戸開府前の16世紀にはすでに茶年貢があったようで
静岡県内でも、たとえば島田市の川根や伊久美に
お茶を現物収納したという史料が残されています。

当時、稀少品だったといわれるお茶から
どれほどの徴税ができたか疑問の残るところですが …

『江戸のファーストフード ― 町人の食卓、将軍の食卓』
(大久保洋子著、講談社選書メチエ)によりますと
江戸前期の元禄のころ、1692年に発行された
『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』 という書物に
こんな内容のことが載っているそうです。

「江戸の町に売られている煎茶は
 駿州、信州、甲州、総州、野州、奥州の産である。
 近時、江東(かんとう)の俗習に、
 常に朝飯の前に先ず煎茶を数碗飲むが、
 これを朝茶といい、婦女が最もよく嗜んでいる」

いまの静岡、長野、山梨、千葉、栃木各県にくわえ
やや距離感のある東北地方のものも流通していたとか。

それに、朝茶 の習慣。
17世紀後半にはすでに江戸で広まっていたんですね。

毎朝 煎茶(当時はグツグツ煮出すお茶でした) を飲む習慣が
とくに女性のあいだで普及していた、ということは
その浸透度合はさだかではないけれど
まとまった量の茶葉が市場に出ていたと考えられますし
茶生産地から生じる税収もまた、ある程度はあったのでしょう。

茶を飲むな、酒を飲むな、と
倹約を強いられたイメージのある江戸庶民ですが
お上が口をすっぱくして飲むなと言ったということは
やはり喫茶習慣が浸透しつつあったあらわれかもしれませんね。
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NPO法人 日本茶インストラクター協会 の主催による
インターネット上の検定 「日本茶検定」 の第6回が
10月15日(金)〜11月4日(木)の日程で実施されます。

本日より申込受付が始まりました。
国内受験の〆切は10月14日(木)15:00です。

不安なかたは、ひとまず力だめしとして
公式サイトの 例題 に挑戦してみてはがでしょうか。
画面の感じなども本番さながらの雰囲気が味わえます。


*  公式テキスト  *

日本茶のすべてがわかる本―日本茶検定公式テキスト
日本茶のすべてがわかる本 ― 日本茶検定公式テキスト
NPO法人 日本茶インストラクター協会 企画・編集
日本茶検定委員会 監修
(農文協)

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