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ベッカライ・ヨナタン(京都)製 「クルンクン」
以前 ビスコッティ チョッコラート をご紹介させていただいた
京都の自家培養酵母のパン屋さん、ヨナタンさん。
渦巻きがかわいらしいこのクッキーもヨナタンさんのもので
弊社の定番お茶うけのひとつです。
静岡では、パルシェ内のナチュラルハウスさんで取り扱っています。
クッキー生地にくるりと巻かれた色の濃い部分は
有機のレーズンやプルーンなどが入ったフィリング。
食感はかっちりとややかため、さくさくした歯触りのよさがあります。
国産小麦、てんさい糖、平飼い卵、純粋蜂蜜 … 等々
用いる素材はシンプルかつ、あたり前のように吟味してありつつ
噛めば噛むほどに甘さやうまみを濃厚に感じます。
お菓子選びって、本当に個々人の好みや考えかた
それから当然、体質や、そのときどきの体調次第でしょうけれども。
卵や甘味、動物性脂肪をことごとく排除して
粉のうまみだけをぼそぼそ噛んでいるような気分になるものは
お茶うけとしては、個人的にはあまり手がのびないものですから …
これも、自然食品店に並んでいるということで
逆に敬遠されるかたもいらっしゃるかもしれませんが
バランス感覚に秀でた味づくりと感じます、ぜひ試してみてくださいね。
弊社では今日もお三時に ほうじ茶 か 紅茶 とともにいただきます。
『棟方志功 祈りと旅』
於 ・ 静岡市美術館 (静岡)
2011年2月11日(金・祝)〜3月27日(日)
※ 香川県立ミュージアム 、福岡県立美術館 に巡回します。
県内で棟方志功のまとまった作品が観られる機会としては
2006年の 浜松市美術館 以来でしょうか。
鎌倉にある 棟方板画美術館 所蔵の優品を中心に
全国6ヵ所を巡回する、大規模な展覧会なのだそうです。
「祈り」 「津軽」 「旅と文学」 「文人画家の多彩な芸業」
の四部で棟方の画業をたどる構成となっています。
川上澄生の影響が濃厚な、初期のかわいらしい小品から
《釈迦十大弟子》 をはじめとする板画(はんが)代表作の数々。
また、故郷の津軽を題材とした肉筆画や、小説の挿画など
静岡展では77件、点数にして約330の作品が並びます。
一柵(さく)12m超、棟方最大の作品という 《大世界の柵》 など
大きめの作品や屏風仕立てのものもけっこうあって
作品によっては空間の圧迫感が気になるのが唯一残念でしたが
これは仕様のないことでしょう。
東北地方で信仰される神様、オシラサマを描いたという
《飛神(とびがみ)の柵》 を観た瞬間、驚きのあまり落涙しました。
男女一対の神が画面いっぱいいっぱいに飛翔する
ダイナミックを通りこして窮屈さすら感じさせるような構図。
背景の彩色が、鮮やかなのにどこか闇をはらんだような赤で
顔や手足の透明感ある白や、体躯の黒との対比がまばゆくて。
単に救済のシンボル、というよりも
観る者の苦難やひたすらな祈りをも共有してくれるような
混沌をすべて抱くがごとき二神なのです。
なんとも去りがたく、魅力的でした。
また、会期中に会いにいきたいと思っています。
それから、個人的に嬉しかったのが
彼と交流のあった河井寛次郎と浜田庄司の作品が数点あったこと。
私にとって、彼ら民藝同人のうつわを拝見した機会といえば
このとき もそうだったのですが
駒場の 日本民藝館 はじめ “それらしい” 空間がほとんどで。
民藝館、大好きなのですけれども。
できれば、民藝の文脈から外れたひたすら無機質な白い空間で
彼らのうつわ、とくに茶碗を拝見してみたいと思っていましたので
数碗であれ、それがかなったのが嬉しかったのです。
銘 「愛染丸」 の辰砂(しんしゃ)碗など、非常によかったです。
茶碗としては器形が朗々としすぎるきらいはあるものの
今まで出会った寛次郎の辰砂のうつわのなかで好みの釉調でした。
こちら、19時まで開館しています。
週末でも夕方は静かで人出も多くなく、ゆっくり鑑賞できましたよ。
今日は、若輩者として少々口幅ったいようですが
ここ数年もやもやしてきたことを、少しだけ書かせてください。
お茶会には、少人数のみでおこなう正式なお茶事のほかに
大勢が一堂に会す 「大寄せ(おおよせ)茶会」 があります。
その多くが、薄茶(うすちゃ)点前のみの簡略化したもので
気軽に催せる、かつ参会できることで津々浦々に普及しています。
ただ、個人的に大寄せは好きではありません。
マナーの悪さや色の洪水に目をおおいたくなること度々だからです。
大寄せが一年でもっとも多く催されるであろう新年の昨月
異なる茶家の先生がたが、その点について言及されていました。
まずは、裏千家・千宗室家元の 「家元指導方針」 より。
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私の若い頃、京都も含め各地に女傑と称される先生が存在しました。
…(中略)…
そういう先生に共通しているのは 「後姿でも指導している」 ことです。
大寄せ茶会の折でも
待合から本席までその場に臨む姿勢が変わらない。
すなわち、待合も席中である、
ここから既に茶会は始まっているとの覚悟を示しておられた。
…(中略)…
待合で声高に世間話をし、
案内があるやいなや脱兎(だっと)の如くなってしまうのが
当たり前のようになりつつある昨今、
もしこの場にあの女傑の先生が存命だったらと思うことがあります。
事実、「茶道を学びたいけれど、
あの席入りの様子を見るとお茶の先生って上辺だけの人みたいで」
とのご意見が近年増えてきています。
(茶道裏千家淡交会総本部 『淡交タイムス』 2011年1月号より)
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「後姿でも指導」 する女傑、グッときます。
家元自ら、同門の、とくに指導者層へ向けて
あえてこうした厳しいことばを投げかけられているということ自体が
病巣の根深さを示しているのではと悲しくなりました。
また、武者小路千家の次期家元、千宗屋さんは
朝日新聞のインタビュー記事のなかで以下のように語っています。
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一度に何百人も呼ぶ 「大寄せの茶会」 はしても、
少人数の正式な茶事をしている方は現在少ないのでは。
茶事をしない宗匠もいるといいます。
「茶事こそ茶人の本番だ」 と語る父の背中を見て育ちました。
大寄せの時代は終わりました。
着物姿で緊張した人がずらっと並んで
右や左を気にしながらお茶をいただくのは、
本来の姿ではありません。
(1月15日付 朝日新聞 土曜版 「フロントランナー」 より)
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カルチャースクール化した茶の湯再生の若きキーマン、宗屋氏。
お茶事をしない教授者がいるのは事実ですし
実のない年中行事と化した大寄せが減ることも望みます。
ただ、お稽古を始めたばかり、あるいは始めてみたいかたにとって
正式のお茶事に招かれる好機はそうはないわけで。
おそらく一般的に、地方にいればその機会はさらに少ないため
大寄せは、熟達したお点前やいいお道具を拝見することがかなう
格好の場という側面を持ち合わせているとは思います。
ぜひ、そんな方々に、あの人を目標に励みたいなと感じさせる
先輩として、茶人としての凛たる姿を見せてあげてください。
同じ茶を愛する者からのお願いです。
『所蔵 名品展 国宝 紅白梅図屏風』
於 ・ MOA美術館 (静岡・熱海)
2011年1月28日(金)〜3月23日(水)
まるで初詣のように毎春のお楽しみとなっているのが
この時季だけ展示される 尾形光琳 《紅白梅図屏風》 に会いにいくこと。
さらには、野々村仁清 《色絵藤花文茶壺》 と
手鑑(てかがみ)の 《翰墨城(かんぼくじょう)》 の計3件の国宝を含む
毎年恒例の所蔵名品展がMOA美術館で開催中です。
名品展、と謳うにふさわしいラインナップだと感じます。
上記のうち、藤花文の茶壺については
ふだんの常設展示でも拝見できる機会が多いのですが
この名品展では、仁清作のほかの茶道具もいくつか並ぶことが多く
個人的にはそれも嬉しかったりします。
瀟洒(しょうしゃ)、ということばがぴたりとはまる、仁清のうつわ。
精密かつ華麗な色絵のお道具たちに、春の華やぎが重なります。
いや、絵付けの秀逸さはいうまでもないものの
実物を拝見するたびにうならされるのが、むしろ轆轤(ろくろ)の冴え。
入れ子式の、色違いのふたつのお茶碗 《色絵金銀菱文重茶碗》 は
口縁の円に満ち満ちた、やわらかな緊張感や
胴まわりのごくごく控えめな、しかし絶妙のみなぎり加減など
拝見するほどに冴えた心地をもたらしてくれます。
仮に、じかに触れることが叶ったら、どんなにか興奮するだろう、と。
一見シンプルなこういう形状こそきっと、轆轤の巧拙は隠しがたく
当世あまた流通している写しなど、似て非なるものと思ってしまいます。
ぜひ仁清の手指の巧みさを感じてみてくださいね。
ところで、施設内の梅園や庭も美しく、色づいていましたよ。
こちらの梅は、手入れが行き届いているのみならず
視界に興ざめにさせるようなものが一切入らないので
(ありがちな濃い桃色のぼんぼりとか、開催を知らせる派手な看板とか)
澄んだ心持ちで花を愛でることができて、これまた嬉しいのです。