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  • 2016.03.31 Thursday

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桜開花の便りをきくと、お茶の春ももうすぐそこ。

おかげさまで今年も、新茶期の特別商品である
「特選新茶」 をご案内する季節となりました。

例年と同じく

 「極上 蓬莱(ほうらい)」
 「極上 常磐(ときわ)」
 「特上 玉響(たまゆら)」
 「上 千歳(ちとせ)」
 「田舎仕立て」

の5つのタイプをご用意させていただく予定です。

商品の詳細につきましては、4月中旬に
ホームページ 上にてお知らせいたします。

掛川市北部の冷涼な山あいの地で育まれる
しっかりと旨みののった “山のお茶” ならではのおいしさを
ノンブレンドにてお届けいたします。

起伏にとんだ山間地の茶園は
平地のように、大型機械を導入しての効率的な栽培は難しく
摘みとりにしても、こつこつと
人の手で、あるいは手鋏(てばさみ)を用いておこないます。

そのため、申しわけないことに多くはご用意できないのです。
いずれもご予約優先の数量限定品
(「田舎仕立て」 のみ6月末までの期間限定販売)
とさせていただきます。

なお、2011年4月〜2012年3月のあいだに 
弊社でショッピングをしていただきましたお客様には
4月中旬までに、あわせて郵送でもご案内いたします。
おそれいりますが、もうしばらくお待ちくださいませ。
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お茶のことのは ● 酒は酒屋に、茶は茶屋に

  ものごとにはそれぞれ専門があること。
  「着物は長持から、茶は缶子(かんす)から」 に同じ。 
  
         ― 緑茶の事典 改訂3版(柴田書店)より  ―

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

文字どおりのシンプルなことわざです。

「餅は餅屋」 とか
「田作る道は農に問え」 なども同じ意味でしょう。
その道のことは専門家にまかせるのがいちばん、との意。

お客さまにそう思っていただけるお茶を製する、という責任を
こうしたことばに触れるたびに、ずしりと感じます。
コンビニエンスストアでも自動販売機でも、気軽に手近に
お茶と名のつく飲料が買える時代だからこそ…。

なお、上記 「着物は長持から、茶は缶子(かんす)から」 の
「缶子」 ということばについての補足を少し。

「缶」 は英語のcan、金属性の容器ですね。
いま、お茶まわりの 「缶」 のものというと
茶葉を保存する茶缶が即座にうかぶかもしれませんが
「缶子」 といえば実はそうではなく、別のものです。

身近な道具では 薬缶(やかん) をイメージしていただくと
いちばんしっくりくるかと思います。

江戸時代の中ごろまで、お茶は
今のように陶磁製の急須でお湯に浸して抽出するのではなく
金属製の薬缶などで、ぐつぐつと煮出す形で飲まれており
「茶は缶子から」 直接注がれるものでした。
おそらく、そういった旧習から出た言いまわしでしょう。 

余談ですが、むしろ 「缶子」 の 「缶」 という字を
同音同義の 「鑵」 と置きかえて 「鑵子」 と書いたほうが
見覚えがある、馴染みのあるかたもいらっしゃるかもしれません。

金属製、とくに真鍮や青銅を素材とした湯沸かし釜ですとか
茶の湯で用いる鉄製の茶釜を、そうよんだりしますね。
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3月24日に静岡市内で、今年は本州でもっともはやく
染井吉野の開花が発表されたとか。

心待ちにしていた初花が
弊社の界隈でも、ちらほらとみられるようになりました。

201203271423000.jpg

藤枝の瀬戸川沿いの桜は立派な大木が多く
まだ、精いっぱい仰ぎ見ないと目を合わせてくれない高嶺の花。

桜咲く季節を待ちわびた、昨年の今ごろの心境がよみがえります。

先月から冷えこむ日が続き
今年はこちらでも珍しく、遅咲きの梅がこぼれきる前に
彼岸桜や染井吉野が咲きはじめました。
爛漫の春となりましょう。

茶席には不向きとされる染井吉野ですけれども
これから暖かさを増してくるうららかな日中は
お気に入りの茶籠など持って野点(のだて)などいいですね。
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『鹿野コレクション  伊万里焼の美』
於 ・ 掛川市二の丸美術館 (静岡県掛川市)
2012年2月18日(土)〜4月15日(日)

201203250943000.jpg

さまざまなタイプの伊万里焼を楽しめる企画展が
掛川城公園内にある、二の丸美術館にて開催されています。

伊万里焼とは、肥前国、現在の佐賀県で生産され
伊万里の湊から全国へ出荷された磁器の総称。

この展覧会の魅力は、なんといっても
大ぶりではないふたつの展示室、出品数50点ほどながら
伊万里焼の歴史が網羅的に、ぎゅっと詰まっていること。

江戸時代初期の創成期から、後〜末期にかけて
また古染付・古九谷様式・柿右衛門様式・鍋島と
まんべんなく出品されています。

最盛期のものを集めた企画展などでは拝見できないような
変わった作例のものもありました。

たとえば、枯淡な染付の 《山水文植木鉢》 。
銘などがなく、典型的な鍋島の様相でないものですと
他産地のものと誤認され伝わるケースもあるようですが
この植木鉢は、鍋島下絵図にほぼ一致するものがあるとか。
鍋島関連の展覧会で植木鉢をみた記憶がなく、驚きました。

それから、鹿野コレクションの魅力と感じたのは
小品、とくに実用的な器形の小〜中皿に優品が多くて
眼の刺激となること。

初期伊万里の 《白磁花びら形皿》 の
シンプルながらソリッドな質感のある花びらの緊張味。
そのかたさが、またうぶで美しく。

古九谷様式の 《色絵金彩孔雀文捻縁小皿》 も素敵でした。
染付中心の、クールな印象の孔雀文なのですが
色絵と金彩がほんの抑え気味に、上品にほどこされて。
薄づくりの、捻縁の細やかなゆらぎも実に優雅。

控えめながら色気のある、といった感じの
じんわりと麗しさが伝わってくるものが揃っていました。

伊万里に魅せられて

伊万里に魅せられて
鹿野 則彦  小木 一良
(毎日新聞社)

鹿野コレクションの一端が拝見できる本。
伝世した共箱の箱書の写真や解説なども収録されており
資料的価値も高い一冊です。
今展に出品されているものも多数掲載されています。
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お茶のことのは ●  茶庭(ちゃにわ)

  茶室に付属する庭。
  蹲踞(つくばい)・灯籠・待合腰掛・飛石などを配する。
  露地(ろじ)。ちゃてい。
          ― 広辞苑 第六版(岩波書店)より ― 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この 「茶庭」 について参考となる、入門書的な本を
前回のブログ にてご紹介されていただきました。
おもに草庵式の茶室に付随する庭のことを、そうよびます。

「茶庭」 と書けば、茶の庭との意が直截的にあらわされて
非常にわかりやすいのですけれども
もうひとつ、同義の 「露地」 ということばのほうが
茶の湯の世界ではよく用いられるように思います。

(同音の 「路地」 と漢字を間違えやすいので要注意です)

「露地」 という単語には、同じ 『広辞苑』 によりますと
単純に、屋根のない場所、露天、といった原意にくわえて

「煩悩を離れた境地。法華経の火宅喩(かたくゆ)に基づく」

という意味もあるのだそうです。
聖域、サンクチュアリなのですね。

さすれば、茶の庭を 「露地」 というのも
三界火宅の苦悩に満ちた俗世を
しばし離れるという心がこめられているのでしょう。
門という結界をくぐり、庵へと静かに歩みを進めることで
煩悩の世界から脱していくイメージ。

なるほど、ふだん何げなく用いている用語ひとつにも
こんな祈りが秘められていようとは、しみじみ奥深いものです。

あともうひとつ、これは推測にすぎないのですけれども
茶室に付随する庭を 「茶庭」 というのは
「茶」 ということばが多出して少々くどいといいますか。
そういった側面もあるのではと感じます。

事物の重なりや執拗な反復をあまり好まない
茶の世界の特質ゆえかもしれません。
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和の庭
和の庭 図案集
(建築資料研究社)

お茶会に招かれて露地を歩くときや
寺社などの素敵な庭園を散策するとき。

庭には、それがいかに簡素でさりげなく感じさせるものであれ
造った人の創意や個性が息づいています。
ですからたとえば、くぐった門や、手を清めた手水鉢の名や特徴
歩いた飛石の配置のタイプなどを知るほどに
思いをいたせる幅が増して、より楽しめるものと思います。

この本は、タイトルに 「図案集」 とあるとおり
和の庭園の構成要素となるもののうち
基本的なタイプをイラストで並べ示した一冊です。

上記のもののほかに
灯籠、蹲踞(つくばい)、垣根、戸、石組なども
代表的なものが紹介されています。

専門書のように難解なテキストはなく
あくまで図案と名称(とその読みかた)が中心です。
イラストの描きかたもシンプル。
それぞれほぼ単体で、モノクロ線描中心にて表現されています。

名庭の実例写真のように背景まであるものにくらべ
対象物の特徴がすっと把握しやすいのが最大の魅力と感じます。

『図解 庭造法』 とあわせて手もとに置いておけば
和の庭の基本型が、かなり網羅的にカバーできるのでは。
次回の庭園訪問がますます心待ちとなることでしょう。
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吉本隆明氏ご逝去に関した記事のなかで
とくに印象に残ったものがあります。

→ 「吉本隆明さん死去 思想の根底に 「生活」 への視点
   田中紘太郎氏寄稿」
   (産経新聞 2012/03/16)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 東京都内の吉本宅にうかがった際、
 こちらの車が到着するのを
 自宅前で、じっと待っておられた。
  (中略)
 「自分の客は自分でもてなす」 の考えから、
 自らお茶を出し菓子を振る舞う姿に恐縮するばかり。
 質問にじっと耳を傾け、丁寧に答えていただいた。
 威圧するような怖さはなく
 「戦後最大の思想家」 「知の巨人」 の
 権威的イメージは、初対面で溶解する。
 ごく気さくな、普段着の生活人という実像に
 かえって圧倒された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

こういった場合、家族やスタッフがお茶出しをするのが
この国ではよく見られる光景、なのかもしれませんが。

自らお茶をさし出して 「自分の客は自分でもてなす」 。
ただただ、そんな気持ちにほぐされることの心温かさ。

至極シンプルなことだけれども
あたり前のようにできている人の、いかばかりでしょうか。
自身を省みつつ。

ながく心に残る一杯となるのは
決して、豪華な応接や奇をてらった何かではなく
そこにちらと垣間みえる、人と向き合う姿勢かもしれません。
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料理に
料理に 「究極」 なし
辻 静雄
(文春文庫)

料理によって器をさまざま変える、という
おそらく日本料理ならではと思われる特質。
これ、いつごろ何の影響からはじまったのでしょうか。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 熊倉功夫氏
 「やっぱり、十七世紀になって
 お茶がはなやかになってからですね。
 たとえば精進料理では全部、朱塗りとか黒塗りの器です。
 これは本膳料理もそうですね。
 ところが、茶になって初めて、
 織部の鉢が出てきたり、京焼が出てきたり、
 料理に合わせた器を選ぶようになるんです。」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  
 梅棹忠夫氏
  「(他国で器をそのたび違うものにとりかえて食べる文化は)
 ありませんな。
 中国はもちろんありませんし、インドもありませんね。
 東南アジアもアラブもみなないですね。
 さまざまな器をたのしむというか、
 料理によってちがうかたちの器をつかうという文化は
 日本だけでしょうね。」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  

すぐれた陶工と眼力あるショップが少なくない昨今は
普段の食事でも器づかいを楽しむ家庭が増えてきたようですが
歴史をひもとくと、茶の湯の大成、茶懐石の誕生ということが
大いに関わっていたということなのです。

日常の延長線上にある非日常、を愉しむ茶の湯の文化から
家庭の食卓の楽しみに還元されているものがあるというのは
なんだか面白いなあ、と感じます。

日本料理についての、こんな話題まで言及されている
フランス料理研究の第一人者、辻静雄氏の遺稿集。

一本は、民族学者の梅棹忠夫氏と。
もう一本は、歴史学者で茶の湯への造詣も深い熊倉功夫氏と。
辻静雄氏と、ふたりの専門家との対談はそれぞれ
食の特質の比較ということをとおして
文明論にまで展開していくさまが非常に面白いのです。

ほかにも、雑誌への寄稿あり、講演を書き起こしたものあり。
話題もフランス料理を軸にしながら、実に多彩です。

単なる料理トリビアではなく
会食ということの喜びと奥深さを教えてくれる一冊です。
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塩芳軒(京都市上京区)製 「ふくべ」「梅鶴」

塩芳軒さんのお干菓子は
意匠が控えめながらそこはかとなく文雅で、味わい深く
技術の高さを顕示するようなところがなく
読み解く悦びや見立ての楽しみに満ちています。

こういうお菓子ときちんと添えるお茶を製したい、と
いつも心新たにさせられます。

こちらの、縁起のよい2種の詰め合わせ。

上は、黒糖羊羹に和三盆糖をまぶしかためた 「ふくべ」 。
表面の食感は、かりりとかためです。
複数の砂糖のかもす奥行きのある旨みが
余韻として残る口中の愉しさも格別です。

下の、ころころと小さな粒状のものは
煉りこまれた梅肉の酸味がほどよくきいた 「梅鶴」 。
丹頂鶴の頭の紅色のようすからとった銘だとききます。
時節過ぎですが、梅の未開紅にも見立てがかないそうです。

こちらの詰め合わせ小箱など、一部のお干菓子は
京都駅ビル The CUBEなどでも求めることができます。
普段のお茶うけに、茶事や進物に重宝します。

お薄 や良質の 煎茶 、また玉露と合わせたいところです。

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『鉄斎の器玩 ― 売茶翁没後250年によせて ―』
於 ・ 鉄斎美術館 (兵庫県宝塚市・清荒神清澄寺山内)
2012年1月8日(日)〜3月18日(日)

201203101002000.jpg

売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)(1675〜1763)は
江戸時代の黄檗僧にして、煎茶の祖ともいわれる人物。

自ら茶道具を担っては、京の、その折々の風光な路辺で
禅を説き、あるいは清談をしながら売茶をしたといいます。

そんな売茶翁の生きかたに憧れを抱いた文人は数知れずで
江戸末期に生まれ、「日本最後の文人」 とうたわれる儒学者の
富岡鉄斎(1836〜1924)もそのひとりでした。

彼は若きころ、太田垣蓮月尼の侍童として
作陶の手伝いなどしたことも影響しているのでしょう。
人生を通じて煎茶と大いに親しみ
それにまつわる書画や、また器玩を多く制作しています。

今回の展覧会では、そのなかから
売茶翁愛用の茶具が描かれた 『売茶翁茶器図』 の内容に倣い
当代の名だたる職人たちと合作にて忠実に復元した皆具など
翁への敬慕がみてとれるお道具類を中心に
書画や遺愛の品も含め、百余件が紹介されています。

鉄斎らによって復元された煎茶皆具は
実際に翁追善の煎茶会に用いられたそうです。

売茶翁が、自らの愛用品をあえてこの世に遺さなかったため
ゆかりの品が伝世していないという事情もありましょうが
愛慕の情をもち、自ら
翁の生の軌跡をなぞるようにして再現した新作道具でもって
会を催すという追慕の形に惹かれるものがありました。

伊藤若冲の筆による翁像の、鉄斎写しもあったり。
生きた時代こそ違え
翁への憧憬を同じくする若冲との交感すら思わせます。

鉄斎の煎茶のありかたに触れられるとともに
鉄斎という人物を近しく感じられる愉しい展示でした。

清荒神さんの山内にある美術館です。
お参りの際にひと足のばしてみてはいかがでしょうか。


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 ◆ 2009/04/13 「日本発の喫茶店、煎茶に限ると」
 ◆ 2009/04/14 「緑の煎茶、妙なるかな」
 ◆ 2011/06/22 「若冲と売茶翁に出会う一冊」 
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